©吉田修一/朝日新聞出版 ©2025映画「国宝」製作委員会
©吉田修一/朝日新聞出版 ©2025映画「国宝」製作委員会

エンターテイメントの底力を見せつけられた

 これら朝ドラ大河ドラマの経験者が軒並み顔をそろえ、互いの演技をぶつけ合うという、まさに“国宝級”のキャスティングだけでも一見に値する。

 本作では歌舞伎の世界を文字通り舞台にして、喜久雄と俊介の複雑に絡み合う運命とその行く末が描かれていく。俳優、裏方、家族、関係者、そして観客。たくさんの人たちが刻んできた重厚で華麗な歴史、そして“芸”というものについて考え語る“場”を与えてくれたという意味でも、大きな価値があるのではないか。

 一つ一つの作品を生み出し、それを支える人たちの思い、情念、憎しみ、苦しみ、悲しみ……ありとあらゆる感情が年月を越え、時代を越えて混ざり合っていく、それがエンターテイメントの本質に違いないと私は思う。

 それでも芸に生き、道なかばで倒れ、また戻ってくる者もいれば、もう二度と戻って来ない者もいる。歌舞伎に限らず、エンターテイメントの持つ非情さや不条理、真っ当さ、それらすべてがこれでもかと詰め込められ、かつ複雑に絡み合う本作。目の前で繰り広げられる彼らの行き場のない怒り、慟哭にも近い叫び。わかりきったことだが、運命はかくも残酷で無常だ。しかし、それゆえに私たちは強烈に惹きつけられ、心を揺さぶられる。

 テレビドラマと歌舞伎を一緒にして語らないでほしい、と「格式」や「歴史」の違いを指摘する人もいるかもしれない。

 だが、もがき苦しみながら美しい華を咲かせるために、まだ見ぬ奇麗な景色を見るために、己の魂と肉体を削り続けるという意味では、どちらも同じではないだろうか。そうやって作品に込められた俳優の魂や生きざまは永遠の輝きを放ち、私たちの心に深く刻まれていく。たとえまた慌ただしい日常に心が追いやられたとしても。

 難しい理屈より、「面白い」、それだけでいいではないか。映画「国宝」がエンターテイメントの底力を見せつけてくれた作品であることは間違いないのだから。

(エンターテイメントジャーナリスト・中村裕一)

こちらの記事もおすすめ 吉沢亮、女形の役作りに1年半、モチベは「流星には絶対に負けない」 吉田修一と語る映画「国宝」舞台裏
[AERA最新号はこちら]