
今夏も日本人選手たちの海外移籍が続々と発表されている。その中に一人、大学生が混じっている。筑波大3年のFW内野航太郎だ。パリ五輪の本大会メンバーからは落選したが、U-23代表にも名を連ねた身長186センチの万能ストライカー。昨季まで鈴木唯人が所属したデンマーク・ブレンビーと4年契約を交わし、この7月からチームに合流する。大学No. 1ストライカーとしての呼び声も高い内野の欧州での活躍と成長が期待されるが、この“Jリーグを経由せず”に「大学→欧州直行」の移籍は果たして成功するのか。過去の例を振り返ってみたい。
大きな話題を集め、かつ期待を背負ったのが、平山相太(筑波大→ヘラクレス)だった。190センチの長身と左右両足でのシュート力を武器に国見高校時代に全国高校サッカー選手権で2年連続得点王となり、2003年、05年のワールドユース(現U-20W杯)に2大会連続で出場し、2004年のアテネ五輪にも19歳ながら飛び級で出場した怪物FWだ。高校卒業後に筑波大学に進学したことが当時大きな物議を醸したが、2年生となった夏に大学を休学(のちに退学)し、オランダ1部のヘラクレスに移籍した。
そのデビュー戦で2得点を挙げるなど1年目の2005-06シーズンはリーグ戦31試合出場でチーム最多の8得点を奪ったが、監督が交代した2年目はリーグ戦出場1試合と出番を失い、2006年9月にFC東京に入団した。ここからキャリア再構築となるはずだったが、Jリーグでの通算12シーズンでリーグ戦最多得点は2010年の7得点。10代の頃に背負っていた期待感は歳を重ねるごとに薄れ、海外生活2年間の経験も活かすことができずにユニフォームを脱ぐことになった。
平山の2学年下で、平山よりも5センチ身長が高かったのが、林彰洋(流通経済大→プリマス・アーガイル)だ。流通経済大柏高校時代から評判の大型GKで、大学1年時の2007年にイビチャ・オシム監督からA代表の候補合宿に呼ばれて注目され、同年のU-20W杯では“調子乗り世代”の正GKとして活躍した。
その実力、実績から数々のオファーを受けた中、林は2009年9月にチャンピオンシップ(イングランド2部)のプリマス・アーガイルへの移籍を決断する。しかし、GKというポジション柄、出番に恵まれず。2010年6月にベルギー3部オリンピック・シャルルロワへ移籍して海外デビューを飾ったが、故障でレギュラーの座を明け渡し、2012年1月に清水エスパルスに加入した。その後、サガン鳥栖、FC東京で活躍して日本代表にも選ばれ、38歳となった現在もベガルタ仙台の正GKとしてプレーしている。海外での2年半は林にとって間違いなく大きな経験となっているが、言葉も含めて苦労した日々ではあった。