
「プロ野球」という言葉を浸透させた功績も
長嶋さんは現役を引退して、すぐに巨人の監督になりました。初年度は球団創設以来初の最下位になるなど苦しんだけれど、その間も気にかけてくれていたと思います。80年に監督を退くと、翌81年の春季キャンプにはトレンチコートを着てやって来てくれました。「頑張れよ、谷沢健一」と書いたブランデーをもらったことを覚えています。僕はそのブランデーを飲んでしまったんだけれど、もう一人もらった選手はずっと神棚に飾っていたと言っていました。
車いすを使うようになられてからは会う機会はありませんでした。でも、東京ドームにいらっしゃっているニュースなどを見るにつけ、陰ながら元気になってほしいなと思っていました。
野球界に、本当に多大な貢献をした人です。立教大学に彗星のごとく現れて東京六大学野球を盛り上げました。「プロ野球」という言葉を浸透させたのも長嶋さんです。当時のプロはアマチュア界から「職業野球」と揶揄されていた部分もあったのですが、そこにプロフェッショナリズムを広めたのです。日本代表監督にも就いて、「長嶋JAPAN」とまで言われました。
今の野球界があるのは長嶋さんのおかげだと思います。寂しいですが、ゆっくりとお休みください。
(聞き手・構成/AERA編集部・川口穣)
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