
ミスタージャイアンツ、巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄さんが6月3日、肺炎のため亡くなった。享年89歳。昭和のプロ野球を代表するスターを偲んで、「プロ野球B級ニュース事件簿」シリーズ(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に“忘れがたきミスター伝説”を振り返ってもらった。(文中敬称略)
* * *
ルーキー時代に本塁打を打ちながら一塁ベースを踏み忘れてアウトになった長嶋茂雄だが、それとは逆に、守っているときに相手走者のベース踏み忘れを見逃さず、アピールアウトを取ったのが1971年6月24日の大洋戦(後楽園)。
1点を追う大洋は6回、先頭の大橋勲が四球で出塁し、代走・飯塚佳寛が起用された。飯塚は送りバントで二進し、次打者・中塚政幸の中前安打で生還。1対1の同点になったかに思われた。
ところが、長嶋が「飯塚の右足が三塁ベースから10センチも離れてまたいでいった」とアピールしたことから、手沢庄司三塁塁審はアウトを宣告した。
「(踏み忘れの直後)塁審と目が合ったら、“触塁を怠って行っちゃった”という顔だ。よし、この顔ならいけると思って、ワンちゃん(王貞治)にボールを投げさせたんだ。オレもやったことがあるから、簡単にごまかされんよ。ホームランならバッターの仁義で知らん顔してやるが、あの場面でタイムリーじゃ、そうもできん。だから、“こういうこともあるさ”と(飯塚を)慰めてやったんだ」。
結局、この回大洋は中塚もけん制タッチアウトで無得点。その裏、長嶋は野村収の初球、外角スライダーを左中間席上段に運ぶ豪快なアーチで、試合を決めた。
ちなみに長嶋は、59年4月22日の大洋戦(富山)でも、右中間三塁打を放った岡田守雄の一塁ベース踏み忘れを三塁から目撃してアピールアウトに取り、64年4月30日の大洋戦(川崎)では、伊藤勲の右前安打で生還した二塁走者・森徹の三塁ベース踏み忘れをアピールアウトにしている。
「あの長嶋が踏み忘れを3つもアピールした!」という意外性(?)に加えて、いずれも大洋戦だったのも、偶然ながら面白い。