結局このサンダルを買う。デザイン違いでも十分可愛い。っていうかこれが一番!(写真/本人提供)

 日本じゃこんなことありえないし、あったらすごいクレームつける人がいそうだが、何故かこっちに来ると皆「ま、いっか」となり、むしろ格好の楽しい話題になった。確かに笑って片付けられる話なんだよね。何とかなる。

 で、これを「未開の地」ゆえと受け取ることもできるが、1週間を過ごすうちにそういうことでもないんじゃないかと思えてきたのだった。

 そう思ったきっかけは、自分土産に革のサンダルを買った時のこと。山と積まれた中から気に入ったデザインを見つけたがサイズがでかい。「これの小さいのが欲しい」と店の人にお願いすると、山の中からあれこれ取り出してくれたんだが、どれも「似てる」だけで微妙に違うじゃん! いやいや私はこれと同じのが欲しいんですと言おうとしてハッとした。よく見たら同じものなど一つもない。ある意味「テキトー」に作られているのだ。テキトーは「適当」でもある。ここでは今あるもので臨機応変に作るのが当たり前。そこに一個一個作る楽しみもあるに違いない。言ってみれば全てが一点もの。大量生産とは対極の世界である。

 これは「未開の地だから」なのだろうか。彼らはここを脱し、効率的な大量生産大量消費社会を築くべきなのか。先進国とは、発展途上国とは何なのだろう。

AERA 2025年6月2日号

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