「そして、『お立ち台』と呼ばれる『台』が、一部の郵便局にできました。配達ミスや配達中に事故を起こした職員はお立ち台に立たされ、数百人の同僚の前で、報告や反省、謝罪をさせられるようになったのです。こうして、自己責任を追及する職場風土が形成され、追い詰められた局員が自死する事態が発生していきました」 

「自爆営業」

 厳しいノルマも、郵便局員を苦しめてきた。郵便局に勤務していた夫の小林孝司さんを、過労自死で亡くした明美さん(57)は、こう訴える。

「年賀状離れが進み、年賀状の販売数が減少しているにもかかわらず、上司から『売ってこい』と強く促され、売れ残った分は自分で買い取らされていました」

 孝司さんは1982年から24年間、さいたま市内の岩槻郵便局の集配課で正社員として勤務していた。しかし、2006年に、さいたま新都心郵便局に異動になると、仕事が一気に増加した。同局は民営化の「モデル局」という位置づけから、経営効率が求められた。

 さらに孝司さんを苦しめたのが、はがきや物販などの販売ノルマだった。特に重視されたのが年賀はがきで、毎年一人7千~8千枚の販売ノルマが課せられ、達成できなければ上司から厳しく叱責された。孝司さんが亡くなった年のノルマは、一人9千枚だったという。孝司さんも大量の年賀はがきを自腹で購入した。自腹を切って売り上げを伸ばすこの行為は「自爆営業」と呼ばれた。死後、自宅から数百枚の年賀はがきが見つかった。

 孝司さんがお立ち台に上がったことはなかったというが、配達ミスなどをした局員はお立ち台に立たされた。台に上がった局員の中には、途中で泣き出したり、立った翌日に頭を丸めて出勤したりする職員もいたという。

「お立ち台は、パワハラの象徴だったと思います」(明美さん)

 08年、孝司さんはうつ病を発症。計3回にわたり病気休暇を取得した。3度目の復職から約半年後の10年12月、同局の4階の窓から飛び降りて自ら命を絶った。享年51。さいたま新都心郵便局に異動して、4年後だった。まだ小学生の幼い3人の子どもを残して、この世を去った。

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