
学生の2人に1人が奨学金を借りる時代。芸能人の中にも、奨学金を借りて大学進学を果たした者がいる。“スーパーポジティブナルシスト”こと、NON STYLE・井上裕介さん(45)もそのひとりだ。
【写真】NON STYLE・井上裕介「月1万5千円の奨学金返済がキツかったこともある」
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もともと芸人になるつもりは微塵もなくて、教職免許を取って先生になりたかったんです。そこで大学進学を志望したのですが、家族から「うちにはそんなにお金がない」と言われたため、奨学金を借りました。
日本育英会(現・日本学生支援機構)だったのか、「第一種奨学金」という名前だったのかは覚えていませんが、利子のつかない奨学金を貸与されていました。無利子・無担保だったので、「借りられるなら借りておいたほうがいい」という感覚でしたね。
総額がいくらだったかは覚えていませんが、月1万5000円を20年かけて返済していたので、だいたい300万〜400万円くらいだったと思います。両親の口座に振り込まれるようにしていたので、毎月いくら入っていたのかは知りません。
こうして神戸学院大学に入学します。実家からは遠かったんですが、もう1校迷っていた工業大学は男子9:女子1の割合だったので、「それは面白くないな」と思って、男女比が1:1の神戸学院大学を選びました。
月1万5千円の返済がキツかったことも
大学1〜2年生の頃は、教職免許取得のための講義を受けていましたが、中学・高校の同級生だった相方の石田(明)と路上で漫才をするようになりました。
そして、大学3年のときにbaseよしもとのオーディションに合格し、吉本興業に所属することになります。忙しくなって授業にもあまり出られなくなり、教職免許取得のための講義も受けられなくなりましたが、なんとか4年間で大学は卒業できました。
卒業後はプロの芸人としての生活と同時に、奨学金の返済も始まります。吉本からの収入もあったし、アルバイトでも月15万円くらいは稼いでいましたが、それでもキツいときはありました。消費者金融で200万円借りたこともあるし、リボ払いもしていました。いくら返しても、利子しか減らなかったです。
当時は難波の4畳半のアパートに住んでいて、風呂・トイレ付きでしたが、それも含めて4畳半。生活スペースは実質2畳ほどでした。
ただ、吉本は先輩がご飯を奢ってくれる文化があるので、食費はあまりかかりませんでした。ロザンの宇治原史規さんに奢ってもらった翌日は麒麟の田村裕さん、というように、いろんな先輩がご馳走してくれました。
20代半ばで関西の賞レースでいくつか優勝し、その賞金で消費者金融の借金は全額返済しました。ただ、奨学金については一括返済しようとは思いませんでした。無利子なので、ゆっくり返せばいいし、手続きが面倒だったのもあります。書類や登録住所も、最後まで実家のままでした。
それでも、奨学金の返済を滞らせたことはありません。というのも、1万5000円という返済額が絶妙で、例えば服の購入を1着我慢するとか、後輩に一度奢るのを我慢するとか、パチンコを1回やめるとか……。毎月その程度の額だったので、特に苦ではなかったですね。いつの間にか返済が始まって、気づいたら終わっていた、という感じです。
「奨学金は借金だ」という風潮もありますが、僕の中では「借金=利子があるもの」という感覚で、奨学金には利子がなかったので、未来の自分から先に借りているような感覚でした。つまり、30代の自分の収入から借りていたようなもので、あまり「借金」という意識はなかったです。もし利子がついていたら、「先に返さなければ」と思ったでしょうし、M-1グランプリの優勝賞金も、きっと全部返済に回していたはずです。