
男性は無国籍で在留資格がなく、働くこともできない。なんとか資格を取得したいと考えていた。そのためにすこしでも立場をよくしようと、無国籍ネットワークの運営委員に入ってもらった。ところが問題を起こしたため、いったん降りてもらうことに。その対応に男性が納得できないと不満を漏らしていたのだ。陳は、今年1月、大学に来てもらい話をした。
「ところが、彼がなかなか理解しようとしない。最後は大隈講堂の前で大喧嘩の言い合いになっちゃって。守衛さんが驚いてました」と笑う。
この男性の支援のために、いろいろな方策を考える中で09年に知り合ったのが、難民の生活支援に取り組んでいたカトリック東京国際センターの有川憲治(現・神奈川県鎌倉市の「NPO法人アルペなんみんセンター」事務局長)。
「ララさんは実直な方だと思いました。ご自身の体験を踏まえ、真摯に無国籍の方のために取り組んでいるという印象でしたね」
陳は1971年、姉2人、兄3人のきょうだいの末娘として横浜中華街に生を受けた。両親は華僑である。父の陳福坡は今年104歳。明治大学と東京大学の大学院で学んだ学究肌。5人の子どもを育てるために、中華街で妻とともに小さな中華菓子店を始める。7人家族が7畳で暮らした時期もあった。その後中華料理店「華都飯店」を開き、生活が軌道に乗っていく。福坡は、華僑の自治会的組織で、民間外交も担う横濱華僑總會の事務局長として走り回る日々。そんな中、陳が生まれた。名前の天璽には「天から授かった大切なもの」という意味が込められている。(文中敬称略)
(文・高瀬毅)

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