「無国籍ネットワーク」のイベント。たとえば、両親のどちらかが無国籍の場合、日本人の子どもが婚姻届を出す時、役所はどう対応し、2人はどう答える?など、寸劇を通して「無国籍」を体感してもらう(写真:張溢文)

横浜中華街に生まれる 6人きょうだいの末っ子

 陳のゼミに聴講生として参加している別の大学の大学院生は、陳の研究を、文化人類学や社会学、政治学の枠を超えた意義のある仕事だと話す。

「それだけでなく、国籍に関わらず困った人を助けようとする気持ちがある。状況を改善するために行動している。そこが素晴らしい」

 国籍の難しい所は、国によって考え方や法制度が違う点にある。日本は二重国籍は認めず、血統主義で、長く父親の血統のみだった。父母両系血統主義に変更したのは1984年。生地(せいち)主義で二重国籍を認める国も多い。国籍には国際的な基準がないため、国やその人の置かれている状況によっていろいろな問題が起きる。

 グローバル化し、国際結婚は日本でも珍しくなくなった。弾圧や貧困、紛争、戦乱から逃れるため国境を越え、海を渡る難民。海外への出稼ぎや移住者も増えている。国を超え、民族が混ざりあう中で「無国籍」となったりする。

「無国籍ネットワーク」は、そうした人たちの相談に乗り、情報を提供している。

 ネットワークの共同代表理事、長谷川留理華も元無国籍者。迫害されているミャンマーの少数民族ロヒンギャの一人。ロヒンギャはミャンマーの中で国籍が認められていない。小学校卒業間近の頃、日本に逃れてきた。高校に通っていた10年ほど前、陳と出会う。ロヒンギャの女性はあまり表に出て活動することがない。しかし陳は、女性でも発信することができると言ってくれた。長谷川は、「無国籍ネットワーク」以外にも、難民キャンプの人たちを支援するNPOを自分で立ち上げている。

「ララさんと出会ってなかったらこんな活動はしていませんでした。勇気をもらいました。無国籍ネットの運営に関しても、まず一歩踏み出す。ダメだったらやめればいいと。そういうところがララさんの魅力です」

 陳が16年前から支援している旧ユーゴスラビア・コソボ出身の男性があるトラブルから自らを不利な立場に追い込んでしまっていた。

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