
つまり、皇室が戦時にも平時にも日赤の事業にかかわることで、皇室の慈愛と仁愛は、日赤と一体化した、と小菅さんは言う。
一方でそれは「博愛慈善」という国際主義的の側面だけにとどまらなかった。
国民が兵士たちのために年拠金や寄付金を送り、あるいは日赤看護婦として尽くす「報国恤兵(ほうこくじゅっぺい)」といった形でも影響を与えように、日赤が軍の支援組織としての性格を保持していた時期もある。
昭憲皇太后による赤十字の精神は軍にも影響を与えた。日清、日露戦争における旧日本軍は、捕虜の扱いが丁重だったことは広く知られた話だが、その一方で、軍は年を追うごとに「博愛」から遠ざかり、第2次世界大戦下での「捕虜虐待」の問題につながってゆく。
模索を続けた愛子さま
「日赤の歴史は、近代日本の歴史とも密接に絡む以上、けっして博愛慈善という光の側面だけではありません」
小菅さんは、愛子さまの日赤入社は、相当の覚悟をもっての行動であったのでは、と感じたという。

入社前から日赤の社長らによる進講に両陛下とともに出席し、日赤本社敷地内の殉職救護員慰霊碑に供花を行っている。
24年秋の佐賀県訪問では、佐野についての寸劇を観賞。先日の大阪・関西万博訪問でも、日赤が運営するパビリオンを訪ね、世界中で紛争や災害により日常生活を奪われた人びとの厳しい現実や彼らのために活動する看護師や隊員についての動画をご覧になった。
「愛子さまご自身が、文書回答で明かされていたように、何年もの歳月をかけてじっくりと日赤という組織で皇族である自身が何をできるか、ということと向き合い、ご両親や周りも模索されてこられたのでしょう」(小菅さん)