NATO東方拡大の真意
冷戦終結直後の1990年2月9日、当時のベーカー米国務長官はロシア側に「NATOは1インチたりとも東方に拡大しない」と発言したと言われていますが、ベーカー氏がこのとき即座に発し“not one inch”(1インチたりとも)というフレーズは、公式な発言ではありません。
これについては、メアリー・エリス・サロッティが書いた“NOT ONE INCH”(Yale University Press, 2021年)というすばらしい本があります。そこには約束は破られていないということが記されています。
1990年代、NATO拡大に対する米ロ間の様々な取り組みがあり、当時両国のトップだった(ビル・)クリントンとエリツィンは何回か話し合っています。その狙いはNATOとロシアの関係を密接にすることでした。
ロシア高官はブリュッセル(ベルギー)のNATO本部に招かれましたが、プーチンが政権の座に就くと次第にその関係は悪化していきました。それは前述のプーチンの思想にあります。
ロシアがウクライナに侵攻した背景として、「NATOの東方拡大にあった」という見方がありますが、私はそうは思いません。NATO拡大とは関係なく、プーチンはウクライナ侵攻をしていたでしょう。
これに関連して、「ソ連崩壊後、なぜワルシャワ条約機構が消滅した後もNATOは存在し、拡大し続けたのか」という議論があります。けれども、冷戦後にNATOも消滅していたらどうなっていたかを想像してみてください。そのうえで、中央ヨーロッパに安定があったのか考えてほしいと思います。
当時、ハンガリー、チェコなど中央ヨーロッパ諸国は弱体化していました。国内における対立だけでなく、国外からの干渉が起こる危険性が常にあったのです。
私は、NATOの東方拡大計画は、中央ヨーロッパに安定を作り出すことが目的だったと思います。その最初の取り組みについて、クリントンとエリツィンが話し合いを重ね、エリツィンは大枠でその考えに賛同したのです。
2008年、NATOはブカレスト(ルーマニア)での首脳会議で、ウクライナとジョージア(当時はグルジア)を「いずれ加盟国に加える」とする宣言を採択しました。しかし今から思うと、このブカレスト宣言は間違いだったと思います。当初からそんなことが可能なのかといった懐疑的な声もあり、事実、ブッシュ(子)政権下でジョージア紛争が起きるなど、危機は拡大しました。
ウクライナ侵攻が始まった2022年時点でウクライナがNATOに加盟する兆候がなかったことは明白でしょう。