民主主義が発展する条件

 冷戦後のロシアには、市場経済と民主主義社会が生まれるという希望がありました。しかし、共産主義下のあまりにも長い間、計画経済を実施してきたために、容易には市場経済に切り替えることができず、ロシアにおいては不可能だということがわかったのです。

 それを切り替えようとするプロセスでとてつもない腐敗が起き、いわゆるオリガルヒ(新興財閥)が現れ産業全体を掌握していったのです。国内には腐敗が蔓延し、経済格差は広がりました。経済が貧しいと、民主主義を発展させることは非常に難しいのです。

 ゴルバチョフは「新思考外交」にきわめて真剣でした。世界は相互依存の関係にあるととらえ、東西対立より全人類的価値を優先した政策を進めようと本気で思っていました。核戦争や環境破壊から地球を救うために、各国間での信頼関係の確立が重要と考えていたのです。

 しかし、ゴルバチョフの問題は、経済をうまく動かすことができなかったことです。安定したロシアへと発展させることができませんでした。エリツィン政権初期は、首相代行がガイダルで、外相がコズイレフだったので改革派である彼らが新たな政策を探っていた点でわれわれにとってはとても心強い時期でした。

 しかしロシア国内では、急激な価格自由化によりハイパーインフレが起き、経済の安定にはほど遠い状態だった。政権後期になるとエリツィンは肉体的にも政治的にも弱っていき、プーチンにバトンタッチしました。すると、プーチンはKGB高官という出自をひけらかし、新思考を取り入れることはなかったのです。

 プーチンは、2001年9月11日の米同時多発テロ後にはアメリカを支持する立場を表明していましたが、2007年2月、ミュンヘン安全保障会議でそれまでの西側への順応的な態度を一変させ、反西側の見方を表明しました。

 これは2004年ごろ、民主化を掲げて東欧や中央アジアの旧共産圏で起こった一連の政権交代である「カラー革命」にプーチンが恐怖を感じたことが原因だと言う人もいます。ウクライナが、より民主主義的な政府になればその影響がロシアにも波及し、ロシアでのプーチン支配を弱体化させるかもしれないと感じたのです。

 プーチンは民主的なロシアにまったく関心がないのでしょう。

 これからもしばらくは「文明の衝突」は終わらないと思います。というより、永久になくならないと思います。文明の衝突があるからこそ歴史は進歩するのです。

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