高校生でアマチュア無線(写真:本人提供)

 小学校のころまでは内気な恥ずかしがり屋で、あまり自己主張をしない子だった。2月の寒い日に氷が張った川で遊んでいて、友人が投げた割れた氷が下顎へ当たり、数針を縫うけがをしたときだ。母の言葉が、頭に残っている。

「あなたは顔に大きな傷があるから、悪いことをしたら『あそこの一彦でしょう』とすぐに分かるので、決してお天道様に反することはしてはならない」

 人間だからちょっと何かしたくなるときもあるが、そんなときに母の言葉は「努力すればお天道様はみてくれているよ」との意味でも響く。

父の農作業を手伝い「食」の大切さ知り食品会社を就職先に

 地元の中学校から県立磐城高校へ進み、77年4月に明治大学経営学部へ入学。ゼミで食品業界のマーケティングを学び、子どものころに父の農作業を手伝って「食」が暮らしで一番大切だと思ったので、就職先は食品業界から農業と縁が深い昭和産業を選ぶ。81年4月に入社、神戸工場総務課へ配属されて、1年目の秋から経理を担当した。

 領域は粉、油、配合飼料の三つで、原価計算もやる。原料、設備投資、償却、光熱費など原価の仕組みを教えてもらってはじき、営業へ「この原価だから売値はこのくらいに」と送る。これが『源流』からの流れの川幅を広げ、みつわ食品の存続の可否の判断も支えた。

 2016年4月に社長就任。人事制度を見直して、単年度の成果だけではなく、中長期に課題に取り組むことも評価する仕組みにする。ビジネスは、種もまかなければならない。その種から芽が出るか花が咲くか、それは分からない。でも、そこに挑戦しないで目の前にあるものだけを刈り取っていたら、いずれ刈り取るものがなくなる。

「二度と社員の解雇をしないで済む昭和産業にする」。その誓いを守るため、常に気がついたことをやり、「何か考えていかないと」「動いていなければ」という父の姿が目に焼き付き、2023年4月に会長になっても『源流』からの流れはますます勢いを増している。(ジャーナリスト・街風隆雄)

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