20代で夢を「順調に実現」

 そんななか、広末が現れたわけだ。当時、歌手としての彼女を手がけることになったレコード会社のディレクターは、雑誌の記事を読みあさったところ、

「安室さんを教祖みたいな感じにしたアムラーやコギャルに対して、広末は全く正反対みたいな感じで書かれていた」

 という。実際、広末のイメージは新鮮で、それが非主流的な需要を一気に独占したということだろう。

 しかし、彼女は自分で言うほど「フツーの高校生」ではなかった。なにしろ、小学校の卒業文集で「20年後の私」について「女優になってる」と書いて早々と達成、20代前半の時点で、

「小さい頃から『こうなったらいいな』と思ったことは、本当に順調すぎるほどに実現している」(『sketch』2004年)

 と、豪語するような人である。

広末涼子の信条、全部手に入れる

 その貪欲な上昇志向に世間が気づかされたのは、99年、早稲田大入学直後のことだろう。初登校が大騒ぎとなるなか、同年6月、恋人との同棲も報じられていた。この年、マツモトキヨシのCM「なんでも欲しがるマミちゃんは」シリーズで山口もえがブレークしたが、それを現実でやっていたのが広末だったのだ。

 さらに、2001年の主演ドラマ『できちゃった結婚』(フジテレビ系)を地で行くように、自身もそれを2度経験。それもそのはず、高校時代の信条は「二兎を追うものだけが二兎を得る」で、

「その頃、三兎とか四兎くらい追いかけていたので……。仕事、夢、友達、恋愛……。全部やっていいんじゃないかって」

 と、振り返ってもいる。欲しいものをいろいろ同時に手に入れるのが好きなのだ。

 ただ、そういう行動を繰り返してもなお「清純派」のイメージは不思議と消滅しなかった。彼女の形容には「透明感」のような言葉が使われ続けたし、23年4月にはNHK朝ドラらんまん』に主人公の母役で出演。若くして病死する、優しくはかない女性を演じて、好印象を与えた。

 その直後、人気シェフの鳥羽周作氏との不倫が発覚したわけだが、それでも根強いファンは彼女のイメージを支持していたのではないか。つまりはそれくらい、デビュー時の輝きが鮮烈だったということだろう。

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