TOYOTA:トヨタ2000GT/1967年に発売された日本が誇るスポーツカー。トヨタとヤマハの共同開発で流麗なスタイルと点灯時のみ外部に現れる構造のリトラクタブル・ヘッドライトなどが特徴。写真は前期型でフロントグリルが後期型とは異なる(写真:UPI/アフロ)
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 ホンダと日産自動車の経営統合の破談、中国の電気自動車の台頭──。日本の自動車をめぐる状況はあまりよいとは言えない。つくる側はどう見て、どう考えているのか。カーデザイナーの中村史郎さんに聞いた。AERA 2025年4月7日号より。

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 日本の自動車について、つくる側はどう見て、どう考えているのか。カーデザイナーの中村史郎さんに聞いた。

「格好いい車は時代と共に変わり、音楽やファッションと同じで文化の一つなのです。昔の車はよかったと言われるのは、日本や世界が激動の時代であり、それにつれ新しく刺激的な車が次々と誕生してきたからです」

 そう中村さんは話し始めた。

 ただ、自動車100年を超える歴史を振り返ると1970年中頃にカーデザインの進歩は一度区切りをつけているそうだ。それでも日本は80年頃はまだエネルギーがあり、夢があった。日本車は夢を乗せ世界への進出を続けた。

「しかし、90年頃からは日本車は世界での地位を確立し、守るようになりました。そのため、挑戦的なデザインの車が少なくなっていたのでしょうね」

 攻撃は最大の防御であるとよく言われるが、守るだけになってしまったのが現状だと分析する。そして今は夢よりも環境や効率など実質的なことを求めるようになったとも話した。

 そういう状況の中で台頭してきたのが韓国、中国の自動車メーカーである。

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