あるとき、誰もが気づくことなのだが、「人生」は、それを経験している人間にとって、いつも「初体験」なのである。けれども、子どもの頃、若者の頃、おとなになり、社会人になって、家庭を持って……と、ほとんど気にならない。それはたぶん、「社会」が「情報」を提供してくれるからだ。いわゆる「ロールモデル」を教えてくれるのである。ところが、「老い」た瞬間、その「情報」提供は突然中断される。わたしたちはみんな、ほんとうの「初体験」に放りだされるのである。なぜだろうか。それは「老人」は「社会」にとって無益の存在とみなされているからだ。そんなこと知らねえよ、と突き返されるのである。我々は自力で「老い」の本質と有り様に近づかねばならないのだ。

 永田さんはそのために『人生後半にこそ読みたい秀歌』を書いた。なぜ「秀歌」なのかって?

 実は、「生きる」という点において、ほんとうに役に立つ「情報」を教えてくれるのは、役所でも、医学でも、経済学でも、社会学でも、その他もろもろの「なんとか学」でもなく、「文学」だからだ。びっくりしますか?

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