小川議員、「蟄居謹慎」を経て

和田靜香さん(撮影/朝日新聞出版写真映像部・佐藤創紀)

和田 小川さんはこの数年間、どう過ごしていましたか? 2020年にドキュメンタリー映画(『なぜ君は総理大臣になれないのか』)が公開された、その翌年に私の本(『時給はいつも最低賃金~』)が出た。そのあとは? 

小川 映画のあと、半年ぐらい葛藤がありましたね。この作品(映画)の主人公にふさわしい自分でいなきゃいけない、っていうものすごい強迫観念があったんです。そこから抜け出して、「いや、俺は俺でいいんだ」と思えるようになるまでには、しばらく時間がかかりましたね。

 実際の動きとしては、2021年に衆議院議員の総選挙がありました。映画や本のおかげもあって、全国からたくさんの方が応援してくださって、久しぶりに選挙区で勝たせていただきました。そのあと、枝野(幸男)さんが(立憲民主党代表の)辞意を表明されて、次世代を担う自覚をもった一角として、代表選に手を上げさせてもらった。ところがまあ、推薦人が集まらないこと(笑)。

 最終的に大串(博志)さんが協力してくださって出馬することができ、まかり間違って勝つかもしれないともいわれてたんですが、そうは問屋が卸さず。泉(健太)さんが代表になりました。その泉さんを自分は政調会長として支える立場になった。
その後、立憲民主党は22年の参議院選で惨敗。執行部でひとりだけ責任をとって辞任して、だいぶ叩かれました。22年から23年は蟄居謹慎、みたいな。

和田 たしかに、小川さんの姿をほとんど見なかったですもんね。 

小川 僕の蟄居謹慎は本当に蟄居謹慎なんですよ。いや、ちゃんと国会の仕事はしてたし、地元の活動もしてました。それに、めぐりあわせで国会の決算委員長になった。その立場だと皇室の行事などもありますから、国会質疑等で表舞台に立つことはなく、与野党中立ですって顔をして過ごしていました。 

和田 決算委員長ってそういう立場なんですね。皇室行事のときかな? 燕尾服姿の小川さんの写真を見ました。 

小川 そうです。国会の代表質問にも立てないしね。
 それで24年になって、再び(立憲民主党の)代表選挙の年になった。もう一度自覚を持たねば、と思っていたんですが、大先輩(野田佳彦氏)が出られるということになって、私が出馬する目がなくなり……今度は幹事長として支えてほしい、とご要請をいただきました。

 それで昨年の解散総選挙。結果、立憲民主党の議席数は1.5倍にはなったけど、政権は取れず。

和田 こうしてみると、激動ですね。政治家ってウカウカしてられない。 

小川 それ以上に、おそらく大島さんが関心をおもちだろうと思うのはですね。
2020年当時、コロナで緊急事態宣言が出された。みんな家から出られない、政治家の言葉も政策も、まったく響いてこない……当時はそういう苦境のなかにはありましたよね。

 かといって、じゃあ、今と比べてどうなのか。社会は当時のほうが良かったのか、悪かったのか。政治は今よりましだったのか。

 あのころは安倍一強政治だったでしょ? 野党は弱かった。でも、今感じている危機感は、あの当時とは異質なものになりつつある。その観点から言うと、あのときのほうがましだったんじゃないかと……。

大島 そう。注目したいのはそこですよ。
 

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