
今年で芸能活動40周年を迎える元宝塚月組トップスターの真琴つばささん(60)。インタビュー【前編】では、引っ込み思案だった少女が、周囲の反対を押し切って宝塚に入り、トップスターに上り詰めるまでの軌跡を語ってもらいました。【後編】では晴れてトップスターとなったときの思い、宝塚をやめることへの迷い、また70歳までにはしたいと語る「結婚」についても聞いてみました。
【写真】トップスターの貫禄!真琴さんの「クール」な写真をもっと見る
* * *
真琴さんが月組トップスターに就任したのは1997年のこと。そのお披露目公演の記者会見では、記者から「みんなをどうやって引っ張っていきますか?」と質問された。そのとき、真琴さんは「引っ張っていってもらおうと思います」と意外な答えを返した。それぐらい、「前に出る」自分のイメージが湧かなかった。だが、「このままではいけないと、最後のころはイキっていました(笑)。しっかりしないとと気負って、『みんなついてこいよ!』風に振る舞っていたんですけど、結局はみんなが私の後ろじゃなくて、前にいてくれて、まるで私についていっているような“ポーズ”を取ってくれていた。『トップスター・真琴つばさ』という像をみんながつくってくれていたんです」
過去のインタビューでは、「羽根の重さが責任の重さ」と答えていた真琴さん。しかし、実際のトップお披露目公演のときは、背中だけでなく「腰の横」にも羽根があった。その舞台では、客席に降りて客席のすぐ横を歩くという演出もあったが、「腰の横の羽根が邪魔で、もう気になっちゃって……その思い出しかないですね」と笑う。その日の夜、後輩の天海祐希さんから電話があった。
「初日を覚えてるなんて、この人すごいなと思いました」
トップスターは羨望(せんぼう)を集める華麗な姿とは裏腹に、その責任の重さゆえ、心身にかかる負担も計り知れない。中には、1年を待たずに退団する人もいる中で、真琴さんも次第に自身の“引き際”を考えるようになったという。
転機が訪れたのは、トップスターになって3年目。「ノバ・ボサ・ノバ」というショーの終盤、1人でアカペラで歌い出す瞬間だった。