1950年生まれの74歳。大阪製造所へは27歳。年長の技術者に対してズバズバ言うのは、やはりはばかられたが、正しいと思えば言う。それが住友の文化だ(写真/狩野喜彦)
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 日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2025年3月24日号では、前号に引き続き住友化学・十倉雅和会長が登場し、「源流」である大阪市を訪れた。

【写真】森を体験できる「住友館」の前に立つ十倉雅和会長

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「人の歩み」は、出会いの連続だ。世に送り出してくれた両親は特別な存在として、学校の部活でも、進学や就職でも、そこで出会った人が行く道に大きな影響を与える。会社など組織へ入ると、どんな上司と出会うかで、運・不運が始まることも多い。道が開けて思いがけずトップにまでなることもあるし、不満が消えない道も続く。

 出会いには、忘れることのない言葉が伴うことが、少なくない。トップたちが自らの歩みを振り返るとき、道標(しるべ)になった父母や先生、上司の言葉がある。いい出会いといい言葉に巡り合った人は、幸せだと言っていいだろう。

 企業などのトップには、それぞれの歩んだ道がある。振り返れば、その歩みの始まりが、どこかにある。忘れたことはない故郷、一つになって暮らした家族、様々なことを学んだ学校、仕事とは何かを教えてくれた最初の上司、初めて訪れた外国。それらを、ここでは『源流』と呼ぶ。

 1月下旬、十倉雅和さんがそんな上司と言葉に出会った大阪市を、連載の企画で一緒に訪ねた。会長を務めている大阪・関西万国博覧会(万博)協会の用件で出張した合間のわずかな時間だったが、そのことが鮮やかに蘇る。1974年4月に入社して同市中央区の本社の査業部査業課へ配属され、初日に課長が言った言葉がある。5年目の異動で赴任した同市此花区の大阪製造所(現・大阪工場)の総務部査業課で、その言葉が大きな力を持った。十倉雅和さんがビジネスパーソンとしての『源流』になったとする、体験だ。

大阪で身に付いた謙虚な気持ちで接し相手の意見を聴く

 査業とは「業を査する」の意味で、事業の計画や予算を査定する住友グループ伝統の役割。設備投資などの申請をいいと判断すれば、役員会へ提案するだけに、製造部隊や研究陣の将来を大きく左右する。だから、自分が偉くなったと勘違いしかねない。本社の査業課長は、それを最初に戒めた。

「査業は大蔵省(現・財務省)主計局の主査みたいな役割で、現場からいろいろ願いごとをされるので、自分が偉くなったように思いがちだ。だが、決してそうではない。査業という機能を果たしているだけで、謙虚な気持ちで相手に接し、学んで、相手の意見をよく聴きなさい」

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「清水の舞台」と同様柱と梁を垂直に組み外周2キロのリング