大阪製造所は、染料などファインケミカルと呼ぶ部門の製造と研究の拠点の一つ。当時は、拠点が全国に散らばっていた。石油化学部門と違い、工場の一つ一つは大きくなく、製品も別で、それらが集まって一つの拠点になっていた。競争力を付けるために継ぎ足し拡張したところが多く、再編は急務だった。
5年9カ月いた事務棟へ入ると、廊下も階段も部屋割りも変わっていないから、すぐ思い浮かぶ。各地の拠点へもいって、事情や意見を聴いた。「現場」には、本社と違って生々しい情報があふれている。事業の再編は結局、「どの拠点に製造ラインを集めるか」「どこは閉めるか」の議論になる。当然、「現場」は縮小や閉鎖に反対し、どこでも激しくやり合った。
そのなかで、常に胸に刻んでいたのが査業課長の言葉だ。言葉通りの姿勢を続け、「現場」の本音も聴くことができた。その体験が、全社組織改革の際に強過ぎた本社の権限を現場へ渡す「小さな本社」の提言につながる。
4月13日に開幕し、10月13日まで続く大阪・関西万博の会場は、大阪工場と同じ此花区にある。『源流Again』も兼ねて、大阪工場を訪ねる前にいった。ほぼ完成した住友館のパビリオンの前で、思い出す。
1970年にあった大阪万博は、東京大学文科II類へ入学した年の夏休みに観にきた。米国が有人宇宙飛行「アポロ計画」で持ち帰った「月の石」に、長い行列に並んだ。大阪・関西万博でも「火星の石」が展示される。最先端技術で「空飛ぶクルマ」も、人気を集めそうだ。
「清水の舞台」と同様柱と梁を垂直に組み外周2キロのリング
今回の出張で外周2キロ、直径675メートルの木造の「大屋根リング」へ上った。京都市の清水寺の舞台に使う柱と梁(はり)を垂直に組み合わせる工法を使い、リングの高さは外側で20メートル。リングの上で、70年万博で感動した「太陽の塔」の役はこれだ、と思った。
ただ、スポーツや芸能など世界的なイベントに見慣れてしまった日本人は、なかなか反応してくれない。でも、自分たちが若いとき、科学雑誌をみて「宇宙はすごい」と思った。いまの若い人にも、そういう反応はあるのではないか。それが「自分もやろう」へつながるように、自分たちがおカネや時間で不自由させないようにしたい。