さらに日大豊山、横浜を相手にも1人で投げ抜くと、準決勝の育英戦でも一度井上にマウンドを譲りながら、追い上げられると再び登板する大車輪の活躍でチームを決勝に導いたのだ。そんな浜名の代名詞となったのがシュートだ。サイドスローから投げ込むボールはきれいに横に滑り、右打者にも左打者にも威力を発揮した。比嘉のドロップカーブもそうだが、シュートも投げる投手が少ないことが、スピードがなくても甲子園で好投できたことに繋がった大きな要因と言えるだろう。

 2007年に“がばい旋風”で夏の甲子園優勝を果たした佐賀北。優勝投手となったのはエースの久保貴大だったが、初戦から決勝の6試合(2回戦の宇治山田商戦は延長15回引き分け再試合)全てに登板したのは背番号10の左腕、馬場将史だった。163cmという小柄な投手で、3年春からサイドスローに転向した。

 ストレートは120キロ程度だったが、変化球でも腕の振りが変わらず、遅いボールでも内角を思い切って攻める投球で帝京、広陵などの強力打線を手玉にとった。比嘉や浜名のようないわゆる“特殊球”がなくても、なかなかいない左のサイドスローというフォームとボールの角度が相手打者にとっては厄介だったと言えそうだ。甲子園でも一度も試合を壊すことなく、久保に繋いだことがチームの優勝の大きな要因だったことは間違いないだろう。

 近年、馬場と同じ左のサイドスローで、スピードはなくても甲子園で好投したのが吉村優聖歩(2021年夏、2022年夏・明徳義塾・現巨人)。2年の夏に代木大和(現・巨人)の控え投手として初めて甲子園に出場。当時のストレートは130キロ程度だったが、初戦の県岐阜商戦、続く明桜戦でいずれもリリーフで好投してチームを勝利に導いている。

 そのフォームはテイクバックで大きく体をひねり、そこから極端にクロスにステップするもので、182㎝(当時)という長身ということもあって打者からすると見たことのないボールの角度だったはずだ。3年時には130キロ台後半までスピードアップしていたが、それでも今の高校野球では遅い部類に入る。さらに2022年のドラフトでは育成3位で指名を受けており、スピードがなくても高校からプロ入りできた例としても貴重な存在だ。

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今年のセンバツにも期待の“速くない投手”が!?