佐賀北・馬場将史
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 年々投手のスピードアップが顕著になっている野球界。その波は高校野球の世界にも及んでおり、近年では150キロを超える投手は珍しくなくなっている。しかしその一方でスピードはなくても抑えられる投手がいることもまた事実だ。今回は2000年以降の甲子園大会で、強いインパクトを残したストレートが速くない投手にスポットライトを当ててみたいと思う。

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 センバツ大会でまず名前を挙げたいのが比嘉裕(2001年春夏・宜野座)だ。チームはこの年から始まった21世紀枠でセンバツ高校野球に出場。比嘉は当時のプロフィールによると身長は167cm、60kgと小柄で、しかも背番号6をつけての出場だったが、初戦で岐阜第一を相手に2失点完投勝利をあげると、続く桐光学園戦でも3失点完投。さらに準々決勝では浪速を相手に延長11回を1人で投げ切り、12奪三振でまたしても完投勝利をあげて見せたのだ。

 そんな比嘉のストレートは130キロにも満たなかったが、衝撃を与えたのが“宜野座カーブ”と呼ばれた大きなドロップカーブだ。一般的なカーブとは逆方向に指を切って鋭い回転をかけたボールは一度大きく浮いてから急激に沈み、打者のバットは面白いように空を切った。当時このボールは高校球界でも流行となったが、制球の難しさから定着することはなかった。宜野座はこの年、夏の甲子園も出場。ただ比嘉はセンバツでの疲れもあってか調子を落とし、チームも2回戦で日本航空に敗れている。それでも宜野座カーブが甲子園に残した衝撃は今でも色あせることはない。

 比嘉の宜野座カーブが甲子園を席巻した前年となる2000年夏にも1人の小柄な投手が大活躍を見せた。それが東海大浦安の背番号4を背負った浜名翔だ。チームはエースの井上大輔が夏の千葉大会前に故障。セカンドを任されていた浜名が急遽主戦となると、全国屈指の激戦区を見事に勝ち抜いて見せたのだ。甲子園でも浜名の快投は止まらず、初戦で延岡学園の2年生エース、神内靖(元ダイエーなど)との投手戦を制して1失点完投。

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スピードはなくても好投した2人のサイドスロー左腕