その先に待ち受けていたのは、文法という名の森だ。本書で李さんは「森」に分け入っていった当時の記憶をなぞり、日本語文法を丁寧に解説している。わたしたち教師が日々対峙している動詞や形容詞のルールが鮮やかに言語化されていて、文字を追いながら、そう、そうなのよ! と頷き続けた(人は自分の生活に存在する出来事が文章になっているとものすごく嬉しくなるものだ)。基礎段階の学習者は渦中の気持ちをまだ日本語で十分あらわせないため、李さんがこうやって「初級の自分」を召喚し、その頃の感覚を説明してくれているのはとても貴重でありがたいことだと感じた。本書の特徴のひとつは、学び始めの人がどんなふうに日本語を見ているのかが詳細に書かれていること。それを母語話者が読める機会は、実はなかなかない。

 台湾の日本語学校に通っていた頃の李さんは、章のタイトルにもあるが「手の焼ける生徒」だったらしい。〈『日本に行きたいんだ』の『んだ』って、どういう意味ですか?〉と李さんが尋ねたら先生が口ごもったという箇所には、比喩でなく震えあがってしまった。わたしもその先生と同様「強調のニュアンスがある」と答えるだろうと思ったから。李さんが多くの例文を提示している通り、強調をあらわす言い回しは数えきれない。〈日本語で一番難しいのは単語でも発音でも敬語でも動詞活用でもなく〉〈似ている無数の文型をきちんと区別し、使い分けることだ〉と李さんは言う。外国語を使いこなす──個性的かつ自然な表現を時と場合に応じて用いることができるようになる──には、まずその気づきにたどり着くことが必要なのではないか。「手の焼ける生徒」だったからこそ李さんは日本語に愛され、祝福される人になったのだ。

 他言語と比較しての日本語の特徴、レベルアップにおおいに役立ったという音声学と音韻論、日本語お上手ですねと言われる時の複雑な気持ち──前述したが本書は「こうやって勉強して、うまくなりました」という時系列の話にとどまらない、深い知見と知識が惜しげもなく詰め込まれた奇跡のような一冊だ。李さんが見てきた景色を、読むことでわたしたちは体験できる。母語話者が普段意識しない、この言語の不可解さや面白さを知ることができる。〈日本語を習得することで、人生は間違いなく豊かになった〉と李さんは最終章で述べているが、この本との出合いで大きく人生が変わる──いや、ここは自動詞でなく他動詞でいこう──大きく人生を変える人も、きっといるに違いない。

一冊の本 3月号
『日本語からの祝福、日本語への祝福』  李 琴峰 著
朝日新聞出版より発売中

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