奇跡のような一冊
2023年春、生まれて初めて雑誌の定期購読を申し込み、バックナンバーを取り寄せた。雑誌の名前はこの「一冊の本」。郵便受けに届くといそいそと部屋に持ち帰り、袋を開け目次を確認してすぐにページを開いた。目当ては李琴峰さんの『日本語からの祝福、日本語への祝福』。日本語教師として仕事をしているわたしにとって読み逃せない連載だった。本になるのが、文字通り、待ちきれなかった。
台湾出身の李さんが、外国語である日本語をどのように習得したか、その道のりを振り返ったエッセイだ。というと泣き笑いのエピソードや失敗談が披露されているのかと思うけれど、李さんが熱のある筆で綴るのはそれよりも「母語ではない言語を手中のものにしたい」という願望をどうやって現実にしたか、である。
わたしはこれまで15年ほど日本語を教えてきた。ところが、いまだに、まったく自信がない。授業の前は不安でお腹が痛くなる。授業が終わると安堵する。
技術を向上させたくて、有名教師や語学の専門家が著した本をたくさん読んだ。どれも面白かったし役に立った。教える側が書いた本は昔から豊富にあり、すぐ手に入る。でも、学んだ側の(比較的若い)人が、日本語習得にテーマを絞って書いた本は見つけられなかった。あったら絶対に読むのに、と切望に近い気持ちでずっと思っていた。
『日本語からの祝福、日本語への祝福』はわたしが求めていたまさにそのもの、いやそれ以上だった。連載されていた頃、むさぼるように読みながら興奮して何度も声が出た。同意、驚き、発見、敬意。それらすべてが混ざった高揚感の源泉は、間違いなく強い喜び(悦び)だった。
日本語の第一印象は文字の美しさだったと李さんは言う。独学で学び始めたのは中学2年の時。〈ある日突然、日本語やってみたいかも、と脈絡もなく思ったのだ〉〈なんら目的意識も持っていなかったし、到達目標も学習計画も立てなかった〉と。枷のない勉強ほど楽しいものはない。アニメソングを歌って五十音を覚え、読み方が分からない「日本の漢字」に魅力を感じ、カタカナ表記される外来語を解読して小さく歓喜の声を上げる……日本語に足を踏み入れた頃の思い出はきらきらしている。