相川七瀬さん(撮影/工藤隆太郎)

大学に通ってから「すごく曲が書けるようになった」

 相川さんが入学した20年4月はコロナ禍の真っただ中。4月7日に緊急事態宣言が発令され、外出自粛要請がされていた時期だった。大学の授業もすべてオンラインになった。ようやく通学できるようになったのは3年生になってからだったが、キャンパスでは20歳以上年の離れた同級生たちとの交流も楽しんだ。

「始めのころは『相川さん、うちの親がファンです』みたいに言われたりしていましたが、だんだんなじんで、普通の友達としてのいい関係に。普段は、年齢差を感じていませんでしたが、彼らが就活をしているときに私は社会人でもあり、親世代でもあるから、人生の先輩としてそこはよく相談に乗ったりしました。親友は、第1志望の会社から内定をもらったときに、親より先に私に連絡をくれました(笑)。私は仕事柄、地方に行くことが多いんですが、その土地に住んでいる同級生がライブを見に来てくれたりとか……学びもですけど、同級生との交流が本当に宝物ですよね」

 相川さんの通っていた神道文化学部は、神職になるために全国から学びに来ている学生も多い。実際に卒業後は6割ほどが神社に奉職する。

「全国の神社に自分の同級生がいて、20年後には宮司になっている人もいるだろうなと考えると、すごく夢があるなあって」

 それまでの音楽活動とはまったく異なる分野での学び。しかし大学に通うことが、相川さんのアーティスト活動にもいい影響をもたらしていた。

「勉強すると、今まであまり使っていなかった論理化して思考する部分を使うので、逆に空想、創造する右脳の部分が活発になって、すごく曲が書けるようになったんです。これは予想外の恩恵でした。だから、大学に入ってからのほうがリリースが多いんですよ」

 大学に通ったことで得た“果実”がもう一つある。

 もともと駅伝が好きで、テレビで中継していると必ず見ていたという相川さん。國學院大學は大学駅伝の3大大会の常連校。今シーズンは出雲駅伝、全日本大学駅伝で優勝するなど、強豪校として力をつけている。当然、相川さんも母校を応援するようになり、箱根駅伝100回大会の壮行会ではオリジナル曲「襷をつなげ」を歌った。大学2年のときにはスポーツ新聞の企画で、陸上部の前田康弘監督と対談する機会があり、ほぼ同世代ということもあり交流が深くなった。より応援にも熱が入り、現地に実際に応援しに行くようにもなった。

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今年の箱根駅伝も現地で観戦