
聴いて、はっとした。いつのまにか「まず相手の話を聞き、何をしてほしいのかをつかむ」という『源流』の流れが、進んでいない。そこに気がつき、営業の姿勢を変えて、立て直す。『源流』を生んだ中学校を訪ねたとき、あの歯科医師の言葉が甦り、あらためて感謝した。
入行7年目にいった三つ目の宇美支店では、大事な書類を紛失した。仕事をどんどんやりたいとの思いが、大雑把さを生んでいたようだ。
失敗で昇進見送りも地に足をつけた姿を誰かみていてくれた
これで、係長から1段上の代理補佐へ昇進する9年目に、同期生の約6割が代理補佐になったなかなれず、福岡県から出て大分支店へ転勤する。正直言って落ち込んだ。でも、大分にいたのは2年だけで、96年4月に福岡市の本部の中枢の一つ、人事部門へ呼ばれた。宇美での失敗に「昇進見送り」を決めた部署だ。なぜそんなところへ呼ばれたのか、分からない。大事な書類を紛失した後、宇美と大分で地に足をつけ、客の思いをよく聞いて、できることをみつけた。そんな様子を、銀行の誰かがみていてくれたのだろう。
福岡銀行は2007年に熊本ファミリー銀行との経営統合を発表し、長崎県佐世保市に本店を置く親和銀行も加わって、ふくおかフィナンシャルグループ(FFG)が誕生する。このとき、福岡銀行とFFGの人事部門を兼務し、融合を図る役にもなる。『源流』からの流れは、長崎や熊本へ広がっていく。
2022年4月、FFGの社長に就任し、福岡銀行の頭取も兼務した。ここまでの間、実は音楽との縁は切れていない。20年前、銀行にできた軽音楽部でドラムスを担当し、銀行の行事などでスティックを手にする。
音楽に打ち込んだのは、小学校6年生で担任になった若い先生の影響だ。名前は豊留悦男さん。ホームルームの時間に教室へギターを持ち込み、フォークソングを弾いて、児童に歌わせた。『源流Again』で、前夜に高校時代の同級生がやっている飲食店で落ち合った。
店にあるギターを1本ずつ手に、一緒に弾き、歌う。曲は先生が教えてくれた本田路津子の「一人の手」だ。合奏していた先生はときどき指を止め、教え子のギターを聴いて、微笑を浮かべて頷いていた。
豊留先生がもたらしてくれた音楽という『源流』の水源。この夜もまた水量を加えてくれ、流れは長崎や熊本までだけでなく九州全体へと続いていく、と予感させた。(ジャーナリスト・街風隆雄)
※AERA 2025年2月24日号