
日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2025年2月24日号では、前号に引き続きふくおかフィナンシャルグループ・五島久社長が登場し、「源流」である五島さんの母校の一つ、鹿児島県伊佐市大口の中学校を訪れた。
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故郷と母校、とくに小・中学校に思い出がいくつもある人が多い。連載に出ていただいた方々も、そうだ。ただ、地方に限らず都市部でも少子化で学校の統廃合が進み、校舎も校名も変わった例が目立つ。そんなことに、一様に寂しさを口にする。
でも、ひとたび母校があった地へ立てば、様々なことが浮かぶ。楽しい思い出ばかりではないが、そこからの歩みを重ねると胸に沸き立つものがある、と打ち明ける。逆に言えば、ときには故郷や母校を訪れたら、いい。忘れていた抱負や失いかけていた信念を思い起こし、そこからの道のりを、より豊かなものにしてくれるのではないか。
企業などのトップには、それぞれの歩んだ道がある。振り返れば、その歩みの始まりが、どこかにある。忘れたことはない故郷、一つになって暮らした家族、様々なことを学んだ学校、仕事とは何かを教えてくれた最初の上司、初めて訪れた外国。それらを、ここでは『源流』と呼ぶ。
2024年最後の週末に五島久さんの母校の一つ、鹿児島県伊佐市大口の中学校を連載の企画で一緒に訪ねた。ここで、ブラスバンド部の顧問の先生に音楽の楽しさなどを教わった。生徒だけで部活を運営しなければならない辛さにも遭遇し、3年生で部長を務めて、「何よりも部員たちとの対話が大事だ」と気づく。五島さんがビジネスパーソンとしての『源流』になった、とする体験だ。
校名は変わっても校庭からの風景は半世紀前と同じだ
大口は鹿児島県の最北部、熊本県に接する盆地にある。年間の寒暖差が大きく、再訪した際の肌寒さで、小さいころに雪が30センチ積もり、氷点下10度まで冷え込んだことを思い出す。
1974年4月に入学した大口中学校は、市内の学校再編で大口中央中学校の名になり、場所は同じでも雰囲気は変わっていた。校庭に立つと、盆地を囲む山並みが望め、稲を刈り取った田が続く。この風景は、半世紀前と同じだ。水に恵まれ、獲れるコメは「伊佐米」というブランド。秋になると一面、黄色い野だったことも思い浮かぶ。