振り向いて校舎の一角を指差し、「あそこに音楽室があり、ブラスバンド部の部活をしていました」と、懐かしさをあふれさせて言った。部活で太鼓やシンバルなど打楽器を受け持ち、2年生からはそれらがセットになったドラムスを始めた。1学年上に楽器演奏の上手い先輩が揃い、顧問の先生も音楽に詳しくて、2年生のときは県のコンクールで上位に入賞する。
ところが、その顧問の先生が3年生になるときに転勤し、後任の顧問は音楽の指導経験がなく、部活は危機を迎える。転勤していく先生に「きみがやれ」と指名されたのか、卒業する先輩たちに「任せる」と託されたのか、経緯は覚えていないがブラスバンド部の部長になった。
でも、何を、どうしていいのか浮かばない。演奏したい曲があっても、楽器ごとの譜面の入手に苦労し、音楽大学へいっていた知り合いに手伝ってもらって何とかしのぐ。そんな状態だから演奏の出来もよくならず、県のコンクール出場を諦めた。
部員をまとめることでも立ち往生し、泣きたくなる日々だった。「どうすれば、みんなが音楽を楽しみ、部活らしくできるか」を考え抜き、独りで抱え込むのをやめて一人一人から「何をしてほしいのか」を聴くことにした。聴いて、どうすれば実現できるかを一緒に考えて、行動する。この積み重ねが、対話の力を付けさせて、部員たちの表情や雰囲気に明るさが戻り、手応えを感じる。『源流』が、流れ出していた。
流れは、85年春に九州大学法学部を卒業して入った福岡銀行で澱んだ時期もあったが、それを乗り越え、今日まで続いている。澱んだのは、銀行へ入って二つ目の職場としていった福岡県東部の行橋支店のときだ。
支店で融資を担当し銀行員らしい仕事に実績第一へ走った
最初に配属された北九州支店で出納、為替、預金という銀行業務の基本を経験した後、行橋では融資を担当し、初めて外回りの営業をした。銀行員らしい仕事ができるのがうれしくて、実績第一へ走った。ところが、企業や病院を訪ねて融資を勧めるなか、歯科医師に「出入り禁止だ」と宣告される。理由を尋ねると、相手はこう言った。
「きみはおカネを借りませんかとか、ご融資しますばかりを言う。時間をこれだけ取ってやっているのに、何か役に立つ情報を持ってきたことはない。忙しい時間を空けているのに、自分にとって何もいいことがない。そんな人は、こなくていい」