母は専業主婦で父は教育熱心
平屋の外観や、普段の暮らしぶりはどうだったのだろうか。
「そんなボロボロの家ではありませんよ。普通の借家です。正広のお父さんは決まった時間に出勤して、残業してもきちんと帰って来ていた。奥さんは専業主婦。3人の子どもと妻を養えるくらいの収入はあったということです」
よく語られる中居の“サクセスストーリー”としては、困窮した少年時代を送ったことから成功して高級マンションに住むようになっても、古い物を大切に長く大事に使う性格になったというエピソードがある。これについては「しつけがよかったからだろう」と前出の女性は話す。
「奥さんが子どものしつけには厳しい人でしたからね。まじめできちょうめんな方で、家の中はいつもキレイに片づいていました。正広はうちに遊びに来たら、砂場で遊んだ後だったら、ちゃんとズボンをはたいて、汚れていると、脱いで上がってきました。家に入ったらまず、手を洗ってから遊ぶ習慣もあった。帰るときにはおもちゃを必ず片づけていましたよ」
こうしたしつけが行き届いていたうえに、両親は教育熱心でもあったという。
「奥さんは勉強家でした。町内会の回覧板がまわってくると、奥さんの字が書かれているんですが、それがものすごく達筆でね。お父さんもすごく教育熱心でした。正広には『学校から帰ったら本を読みなさい』と言っていて、玄関には書籍や絵本がずらりと並んでいた。今日は正広が遊んでないなと思ったら、座って本を開いて読んでいたこともあります。『あんた意味わかるの?』と聞いたら『わかる』と言っていました」
中居は近所で遊ぶ時は電信柱に登ったり、やんちゃで元気のいい男の子だったという。父親とブロック塀にボールを投げてキャッチボールの練習をしていた姿もよく目撃されていた。だが、上の2人が男の子だったことから、母親は3人目は女の子がほしかったようだ。
「だから、奥さんが正広に女の子の服装をさせていたこともあるんですよ。私が笑ったら、奥さんが『あなたは娘さんがいるからいいけど、私はいなくて寂しいから、ちょっとだけ女の子の服を着させてるの』と言っていたのを思い出します」