たとえば、エレベーターの列に並ぶと、みんな「どうぞ」と先に乗せてくれる。タクシーでも、杖を突く前はワンメーターの距離を告げると、嫌な顔をされていた。それが杖を突いていると、「はい、はい」とあまり嫌な顔をされない。

 これは、わたしにとって大きな発見である。ごく一般の人たちが弱者をカバーしてくれるという体験を通じて、日本人の優しさを再発見したのだから。一事が万事、遊行期のプラスの部分に気がつくと、いろいろな効用がある。

 とはいえ、身体はすべての思想や行動の基盤になる。だから、いたずらに弱者をきどっていてはいけないのだ。遊行期の心構えとしては、やはり、できるだけ自分のことは自分でする「自立」が大事である。

 そのためにどうするか。日々、自分の体と対話しながら、自分で自分の体をコントロールして、できるだけよい条件にもっていく必要があるだろう。これをわたしは「養生」と呼んでいる。高齢者には歩行、咀嚼、嚥下、排泄、呼吸、睡眠と、自分でコントロールすべき、さまざまなテーマがある。

 たとえば、わたしは毎日、朝と晩100回ずつ、遊びながら寝床の中で足の指を広げる動作をしている。もう10年ほどになる。昔、登山家の今井通子さんが、裸足で歩いているネパールのシェルパの足の指が、凸凹の山道を踏みしめるとき、ぱっとモミジのように開くのを見て感動した、という文章を書いておられた。それを読んでわたしも反省して、足の指の運動を始めたのだ。

 いまでは、モミジとまではいかないが、十本の指がぱっと開くようになっている。そのおかげだろう、これまで歩行中に躓いたり転んだりが一度もない。

 最新刊では、恥ずかしながらこうした養生法も紹介した。ただし、それを義務ではなく、面白がって、遊びとしてやる。これが大事なのだ。だからこその遊行期なのだから。(談)
*五木寛之著『遊行期――オレたちはどうボケるか』は朝日新書より発売中

一冊の本 2月号
『遊行期――オレたちはどうボケるか』
朝日新聞出版より発売中

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