人生の黄金期 豊かな実りある下山へ
90歳の壁を越えてから、毎年「この一年、この一年」と思って生きてきた。仕事しながら逝くのが理想、と念じつつ。そうやって、この先、何歳まで生きられるだろうかが楽しみだ。
さて、最新刊の『遊行期 オレたちはどうボケるか』について。インドには、古くから「四住期」という宗教的人生観が伝えられている。これは人生を四つの時期、学生期・家住期・林住期・遊行期に分けてとらえる考え方だ。中国にも青春・朱夏・白秋・玄冬という四季にたとえた伝統的な人生の区分があるが、この度の発想を用いることとした。
ごく簡単に言うと、人生の春が学生期、親に養われていろいろと学ぶ期間。夏が家住期、働いて一家をなす期間。秋が林住期、子の養育などを終えて現役を退いていく季節。そして冬が遊行期で、死を迎えるまでの最晩年である。
もう15年以上前、『林住期』(幻冬舎、2007年)という本を書いた。25年間を人生のひと区切りとすると、50歳から始まる25年、すなわち林住期こそ「真の人生のクライマックス」と考えたからだ。
さらに『下山の思想』(幻冬舎新書、2011年)という本も書いた。下山という行為を抜きにして登山という行為はありえない。それと同じで、人生はいつまでも上昇は続かない。下降の時期は当然やってくる。それを自覚的に受け入れることで、ポジティブに生きられるのではないか、と提案したのだ。
豊かな成熟した下山というものが当然ある。昇る朝日だけが日輪の魅力ではない。日没の美しさというのもある。そこを深めて生きていこう、と考える。
国のあり方も同じだろう。いつまでも頂上にとどまっているわけにはいかない。やはり、いったん下山をして、いつかまた新たに高い山を目指したらいい。世界史を眺めれば、どの国も栄枯盛衰を繰り返している。
しかし、『林住期』や『下山の思想』を書いた当時から、とりわけどんどん高齢者が増えてくるという予測データに対して、とても悲観的になっている人たちが多かった。
今日の日本は、ますますその空気が蔓延している。このまま高齢化が進むと国の活力が失われる、なんとかしなければ、という不安や焦燥が広がっている。高齢者を排除するといった冗談のような意見まで出てくる始末だ。