この国は、いま確かに下山の季節が進み、林住期から遊行期に入っているのだろう。しかしわたしは、それをネガティブではなく、ポジティブに受け取っている。それで一向にかまわない。むしろ「年寄りの国」になればいいとさえ思っている。
最近の日本人は、みんながお互いに吠え合っているように見えてしかたがない。競争が激しいせいもあるだろう、警戒心や敵意に満ちている感じだ。競争から身を引いた高齢者が増えることで、そんなエゴイスチックな日本社会は「敵意なき社会」に変われるかもしれない。
わたしは当事者の一人として、豊かな実りある下山を目指すという高齢者の生き方を提案したい。だからこそ、「ボケ」をテーマに綴ったエッセー本に、あえて遊行期というタイトルをつけたのだ。
人生の最晩年を表す言葉でありながら、遊行期にはネガティブな響きがない。文字通り、遊びを行う時期、遊びながら生きる時期ととらえたら、「最後は遊び歩いていた子どもの頃に戻ればいいんだな」というようなポジティブな響きがある。
もちろん、年を取るとマイナスの部分はある。特に90歳の壁を越えると、五月雨式に体の不調がいろいろと出てくる。人生の終点も見えている。それは仕方のないことだ。しかし、ものすごく悲惨だとは思わない。終点が見えていることも苦にならない。
それはそれでいいんじゃないか、プラスの部分もあるんだよ、と思う。できるだけ不調に陥らないように、自分なりに工夫しながら生きていけばよいのだ。
わたしの場合、90歳を過ぎてからのほうが幸せ感は強い。人生のクライマックスである林住期に対して、遊行期を「人生の黄金期」とさえ感じている。
いまもいくつか連載を抱えて、好きな仕事を続けられている。それも大きいと思うが、一個の人間として、体調の不良はあるけれども、それと戦う感じがなく、「まあ、こんなものだろうな」と受け入れているからだろう。
若いときの体調の問題は不幸感のもとになるが、年を取るほどにそれがなくなっていく。こういうことも遊行期のプラスの部分である。
また、杖を突いて歩くようになって3年ほど経つ。そうなってから、日本人に対する見方が変わってきた。日本人は、すごくエゴイスチックだと思っていたのだが、杖を突いて歩いてみて、けっこう親切だな、と気づかされたのだ。