私はいま、迫りくる〆切り時刻に怯えながら『〆切本』について書こうとしている。
この本には明治から現代までの名だたる作家、詩人、学者、漫画家ら90人が綴った〆切りにまつわる話、94篇が掲載されている。出典はエッセイ、対談、手紙、日記まで及び、どの文章にも隠しきれない本音がほとばしる。
たとえば、夏目漱石は虚子への手紙で〆切日の延長を請い、泉鏡花は書き出せば早いのだがと言い訳を記し、横光利一にいたっては、〈書けないときに書かすと云ふことはその執筆者を殺すことだ〉と逆切れして臆さない。遅筆王の異名をとった井上ひさしは、自身を強制的に缶詰にならないと書けない患者として分析し、「井上氏病」なる病名で医学史に名を残すかもしれぬと自嘲する。
一方、吉村昭や村上春樹など〆切りをきっちり守る作家の文章も紹介されているのだが、「早くてすみませんが……」と書き添えて原稿を送る吉村は、自分を小心者と断定。〈全く因果な性格である〉と嘆いている。
編集者との間に設定された〆切りは、当然ながら大事な約束である。だから、破るとなると心苦しい。心苦しいから言い訳も考える、あるいは唐突に創作意欲に火がつき、遅ればせながら執筆に没頭する。そして、自分でも想像だにしなかった傑作をものしたりする。
〈仕事はのばせばいくらでものびる。しかし、それでは、死という締切りまでにでき上る原稿はほとんどなくなってしまう〉
外山滋比古のこの文章は至言だ。〆切りは人生の小さな関門で、生きている間はずっと付きあうしかない……。
※週刊朝日 2016年9月30日号