休日の過ごし方でも大物ぶりを発揮した谷繁は同年、高卒1年目で開幕1軍入りをはたし、市川和正と併用で80試合出場。捕手としてプロ野球最多出場(2963試合)のギネス記録への第1歩を踏み出している。
人命救助の美談の主人公になったのが、近鉄時代の酒井弘樹だ。
サイパンキャンプ開幕前日の2000年1月31日、プロ7年目を迎えた酒井は、自主トレを終えたあと、宿舎のプールサイドでくつろいでいたが、突然「誰か~っ!」という日本人女性の叫び声にギョッとなった。辺りを見回すと、4、5歳くらいの女の子が、水深約1メートルのプールの中で溺れているではないか。タイミングが悪く、警備員も不在とあって、こうなったら、自分が助けるしかない。
直後、酒井はプールに飛び込むと、女の子を無事救助。「少し水を飲んでいたけど、大丈夫でした。僕も3歳の子供がいますから、本当に良かった」と安堵の表情を見せた。
あとで事件を聞いた梨田昌孝監督も「それは偉いね。今度はチームを助けてほしい」と前年リーグワーストのチーム防御率4.54に終わった投手陣の救世主に指名した。
98年に60試合に登板した酒井も、前年は右肘手術の影響で登板2試合と貢献できず、チームも4年ぶり最下位に沈んだとあって、雪辱を誓ったのは言うまでもない。
ところが、よりによって、人命救助から一夜明けた翌2月1日のキャンプ初日、酒井は守備練習中にぎっくり腰を起こし、早くもリタイア。症状が軽かったため、病院には行かず、宿舎で療養することになったが、梨田監督は「酒井は半年くらい(サイパンに)置いて帰る。ライフセーバーにでもするか」と冗談まじりに呆れていた。
キャンプ地の観光PRビデオの撮影中、思わぬご難に遭ったのが、巨人ルーキー時代の長野久義だ。
2010年、キャンプ地・宮崎に乗り込んだ期待のドラ1ルーキーは、休養日となった2月5日、宮崎の特産品、地鶏とフルーツのPRビデオ(各15秒)に出演することになり、名物・地鶏の炭火焼にチャレンジした。