今年も2月1日からプロ野球の春季キャンプがスタート。選手たちは約1カ月にわたって、新シーズンへの調整に励むとともに、キャンプ地ではファンとの交流イベントも行われる。そんな“春の風物詩”の中で起きた珍事を紹介する。
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“大物ルーキー”が行方不明になる珍騒動が起きたのが、1989年のキャンプ中だった。
大洋ホエールズのドラフト1位捕手・谷繁元信は、2月19日のオープン戦、日本ハム戦で、0対3とリードされた5回無死一、二塁のチャンスに代打で登場。平凡な三ゴロに倒れたが、打球が二村忠美の左足に当たり、外野に抜ける間に二塁走者がホームイン。この三ゴロエラーをきっかけに、大洋はこの回5点を挙げ、逆転勝ちした。
「(オープン戦初打席)さすがに緊張した。今度はいい当たりを打ちたい」とラッキーな一打に複雑な表情の谷繁だったが、捕手陣強化を図る古葉竹識監督は、開幕1軍候補としてドラフト2位の捕手・宮里太とともにキャンプ終了後のオープン戦にも帯同させることを決めた。
事件が起きたのは、その翌日だった。キャンプ最後の休日となったこの日、“鯨番”のカメラマンたちは、休日の谷繁の様子を撮影しようと、選手たちが起き出す午前10時ごろから宿舎の玄関ロビーで待機していた。
ところが、待てど暮らせど谷繁は姿を現さない。昼食時間を過ぎても一向に出てくる様子がないため、午後1時過ぎ、業を煮やしたカメラマンの1人が谷繁の部屋に電話を入れると、同室の塩崎兼一が出て、「谷繁なら朝早く出かけたきり、帰ってこないですよ」と答えた。
その後、夕方になっても帰ってこないため、「ひょっとして、入院か?」と病院に電話で問い合わせる者もいたが、何の手がかりも得られないまま午後7時になり、カメラマンたちはあきらめて引き揚げる羽目になった。
そして翌日、“行方不明事件”の真相が判明する。練習にやって来た谷繁にカメラマンたちが「昨日はどこに行ってたの?」と尋ねると、次の答えが返ってきた。「昨日は1日中パチンコをやっていたんです」。