芸能人志望だった女性がテレビ局に勤めていた男友だちに「有名人との合コン」と言われて参加したら、その芸能人に当然のようにホテルに誘われた。断ったら、後から「なぜ断ったのか?」と責められ、彼からの連絡が途絶えた。仕事に影響はなかったが、恐怖体験としてずっと引きずってきた。
一つ一つが事件なのだけれど、あまりにもあんまりにも「私の身体をめぐる事件」が多すぎるのだ。
そしてわかるのは、「しかける側」というのは、用意周到であるということ。衝動的に行うのではなく、念入りに準備し、念入りに獲物を選び、念入りに実行し、念入りに証拠を隠滅する。だから女たちはかなわない。その「念入り」にたじろぎ、恐れ、沈黙し、自分もバカだった……と諦めようとする。そして沈黙は連鎖する。
私は長年、不思議だった。ある種の男たちは、セックスには「だまし」や「不意打ち」や「計画」や「説得」や「カネ」が必要だと考えているのは何故なのだろう、と。彼らにはそれが犯罪になるという意識がほぼゼロで、若く美しい女とセックスするためには、だまし・不意打ち・計画・説得・カネが必要だと本気で考えている。そしてそれをゲームのように捉えている。女は獲物だ。男たちはその獲物を交換することで、何かを得ている。性欲を満たす以上の何か。それは何故なのだろう。
男による男のための女を使う暴力。私たちはこの暴力にきっちり名前をつけていく必要があるのだと思う。きっちりと、ギリギリと、許さないよ、という力で。