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 作家・画家の大宮エリーさんの連載「東大ふたり同窓会」。東大卒を隠して生きてきたという大宮さんが、同窓生と語り合い、東大ってなんぼのもんかと考えます。ゲストは前回に引き続き泉房穂さんです。

*  *  *

泉:東大で学生運動のリーダーだったんですよ。

大宮:えー!

泉:駒場寮の委員長で、学生運動のリーダーで、東大最後のストライキ実行委員長。機動隊とも対峙してました。

大宮:そうだったんですか。

泉:きょう資料持ってきたけど。これは当時の東京大学新聞。「駒場寮委員長選 泉くんが当選 大差つける」って記事になってる。いま見たら恥ずかしいぐらいやけど。18歳の頃から街頭演説やってた。

大宮:わ、貴重な資料!

泉:寮委員長に大学1年生で立候補して、大差でひっくり返して当選した。昔から選挙、むちゃくちゃ強いねん。

大宮:変わってないですね。

泉:それで、駒場寮の寮費値上げに反旗を翻したんですけど、実は一番の慎重派は私やったんです。国の政策に盾ついたって勝たれへんやないかと。負け戦するんやったら、条件闘争をして、廃寮をもうちょっと延ばすとか、何とか手打ちをしたかったんですよ。

大宮:はい。

泉:ところが、当時みんな血気盛んやから、「リーダーのくせして根性なし」とか言われて。で、私も「おまえら、そんなこと言うんやったら、ストライキぐらいするけどやな、責任取れるのか」言うたら、「取るに決まっとるやないか」言うて。それで、私も「分かった。みんなが言うんやったら、みんなの意見に従うから、突っ込むぞ」言うて、授業をボイコットしてストライキをやったんですよ。でも、負けていくわけですよ。私は、約束どおり、退学届を出した。

大宮:え!

泉:でも誰も続けへん。退学届を出したのはたった一人。20歳のときですわ。実家戻って、塾開こうと思ってた。そしたら、退学届を受け取った学部長から「戻ってこい」いう電話があった。でも学部長はストライキの相手でもあった。

大宮:ドラマチック……。

泉:先生から「それは泉くん、君がしたいことか」って言われて。いや、「したいもくそも、もう退学した以上は、それで生きていきます」って言ったら、「泉くん、みっともなくてもええから帰ってきなさい」と。

大宮:いやー、泣けますね。

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