大阪放送局のデスクで(武内さん提供)

小さなことでも明るい話題を伝えたい

 道路も鉄道もなかなか復旧のめどがたたない中、早朝にロケ車で大阪を出発し、毎日2カ所の避難所を回ることに。避難所は少しずつ支援物資も整ってきていましたが、プライバシーが守られなかったり、ペットの問題があったり、運動不足になったり、いろいろな問題が噴出していました。「自分たちで生活をどうにかしなくては」と思ってはいても、一人の力ではなかなかうまくいかないといった焦りの時期でもありました。しかし取材してみると、焦りの中から小さな解決を目指して動きだしているところがあることに気づいたのです。

「避難所の有志で自治会を発足させ、小学生も支援物資を個々の人に届けるなど運営に関わるようになっている」とか「自然発生的に毎朝ラジオ体操をやるようになり、避難所のコミュニケーションがとれるようになってきた」とか、これまではなかったものがそこここに芽吹いてきているのを感じていました。小さな希望の光に思えました。私はそれらを丁寧に拾い上げ、現地に出かけてみなさんに会い、お互いに伝え合って、いまだ解決しない問題なども含めなるべく前向きに取材を続けました。

 朝から2カ所を回ってロケをし終えたら、私は取材したテープを抱えて急いで近くの電車が通っているところまで送ってもらい、ロケのクルーを置いて一人で大阪局に戻ります。夕方のニュースに間に合わせるため、急いで原稿を作り編集。その原稿を持ってスタジオに駆け込んで、ナレーションは生放送でそのまま読んで報告、という日々を送りました。

 小さなことでもよいから何か明るい話題が伝えたくて、それが何になるのかわからないけれど手探りで始めた企画でしたが、2週間ほどすると取材現場にちょっとした変化が見えるようになりました。以前取材に訪れた避難所に連絡すると「お久しぶりです! 武内さんたちが取材に来てくれて避難所が明るくなったんですよ〜。みんなが声をかけてくれるようになって」とか「ラジオ体操に参加してくれる人が増えましたよ」などと、思ってもみなかった変化でした。そんな現場からの前向きな言葉を耳にして、跳び上がるほどうれしかったのを今でも覚えています。

 災害から立ち上がるとき、一番つらいのは、希望を失うことです。明日の自分が見えないことです。そんな中でも、小さな元気が今日の自分を明日につなげる活力になる、私はそう信じようとしていました。

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阪神・淡路大震災は「原点」