活字で自分を再構築

「ずっと『教師になるために生まれてきた』と思っていたから、そのせいで成長痛みたいなものを一切感じずに走ってこられたんですよ。でも、自分のアイデンティティーだと思っていたものが、違った。教師になりたいという気持ちが、自分の内から出たものではなかったと気づいたときに、活字を使って大急ぎで自分というものを再構築しなおしたんです」

 雪乃さんは、もともと小説が好きで、エンタメ的に楽しんでいた。だが、うつ病になってからは読み方がまるで変わったという。自分の血骨となるようにむさぼり読むようになったのだ。

「影響を受けたのは、村上春樹さんの『ノルウェイの森』ですね。小説を読みながら、自分が今何を考えているのかを模索する。活字の中から、『今の私はこれだ』みたいなものを集めて、自分の輪郭を作っていった感じですね。『今』の感情が一つ言語化できると、パタパタパタっと芋づる式に自分のことが理解できて行くんですよ」

 こうして新たに生まれたのが、「絶対に編集者になる」という夢だった。

「本当のうれしさ」って?

 雪乃さんは、そこまで一気に話すと、ハッと顔を上げて言った。

「それで思い出したけど、それからですよ。喜びの感情が『今』と一致できなくなったのは。全ての感情を言葉に当てはめようとしすぎたから!」

 思わぬところで話がつながった。雪乃さんが「今」を楽しめず、過去の記憶にならないとその場面を楽しめないのは、このときから始まっているのか。

「そのころは、『うれしい』っていう感情も、全部言語化しようと思って躍起になっていたんですね。でも、その瞬間の『本当のうれしさ』って、言葉にされる以前のものじゃない

ですか。その『言語化以前の感覚が失われてしまった』という悩みを、当時大学の同級生に打ち明けていたことを、今思い出しました。そうだ! それからですね。あの時期を境に、言語化依存みたいになってしまったのかもしれない」

 雪乃さんは一人で納得し、深く頷いていた。

 実家は、雪乃さんにとって今でもトラウマを呼び起こす場所だ。新卒で一人暮らしを始め、3度目の転職で上京した。実家のある九州から物理的に離れようとしながら、生きてきた。

「最終的には、海を越えて逃げようと思っています。でも、距離が離れれば離れるほど、逆に家族が近づいてくるように感じる瞬間もあるんですよね」

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