いわゆる「大東亜戦争」を振り返る本を読むたびに、なぜあんなバカなことをしたのかと思う。加藤陽子の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(新潮文庫)は、その疑問に答える本だった。まるで開戦前夜の当事者たちが憑依したかのように彼らの思考をなぞり、なぜ「それでも、選んだ」のかを考えた。
 新著『戦争まで』は、いわばその続編。今度のキーワードは「選択肢」だ。他にも取り得た道はあったのではないかと考える。
 前作は神奈川県の私立中高生に向けての集中授業だったが、今回は池袋のジュンク堂書店を会場に、公募された中高生と考える。一緒に史料を読み、ディスカッションしながら戦争突入以外の選択肢を探す。
〈かつて日本は、世界から「どちらを選ぶか」と三度、問われた。〉と表紙にいう。
 3度とは、満州事変についてのリットン報告書、日独伊三国軍事同盟、そしてハル・ノートである。いずれも、当時は「これしかない」という空気が作られ、現在も「日本は戦争に追い込まれた」といういいかたがされる。しかし、加藤が中高生たちと史料を読んでいくと、別の様相が見えてくる。
 たとえばリットン調査団の報告書。日本国内では、報告書は中国に肩入れしていて、日本は大きな権益を失う、といわれていた。しかし必ずしもそうではなかった。むしろ中国側が怒ったぐらい。ところが国内では仮定に仮定を重ねて、リットンのいうなりになれば「必ず」日本には不利なことになるぞ、といういいかたが横行する。他の選択肢は目に入らない。
 過去に学ぶことは多い。

週刊朝日 2016年9月9日号