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 先週に多く読まれた記事の「見逃し配信」です。ぜひ御覧ください(この記事は「AERA dot.」で2024年12月13日に配信した内容の再配信です。肩書や情報などは当時のまま)。

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 ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの連載「今週のお務め」。39回目のテーマは「中山美穂さん」について。

 1980年代のアイドル豊作年と言えば、松田聖子、河合奈保子、田原俊彦らがデビューした80年。中森明菜小泉今日子、シブがき隊、松本伊代、原田知世、早見優らがデビューした「花の82年」が有名ですが、彼ら・彼女らを「80年代アイドル黄金期前期」とするならば、その後期を盛り上げたのは間違いなく「85年デビュー組」ではないでしょうか。

 南野陽子、本田美奈子、浅香唯、工藤静香(セブンティーンクラブの一員として)、さらにはあの「おニャン子クラブ」の登場も85年でした。彼女たちが、80年代前期のお姉さん方を目標に、溌溂と登場し、そして新勢力・新感覚・新人類として、先輩たちを脅かす存在になっていったからこそ、87年から89年までの「アイドル終焉期」は目が離せなかったのです。

 そして、そんな85年デビュー組のトップを張り、日本レコード大賞最優秀新人賞を獲得し、瞬く間にティーンを中心に国民的アイドルへと駆け上がった一番星は、間違いなく中山美穂でした。
 

 デビュー曲「C」から粛々と人気を高め、チャートや売り上げを上げ、87年には「CATCH ME」で初のオリコン1位を記録。さらに88年の「人魚姫 mermaid」では、あの「ザ・ベストテン」において初めての1位を獲得しました。

 当時のランキング番組は、圧倒的に光GENJI、少年隊、中森明菜、田原俊彦といったところが強かったため、チャートで1位を獲っていても、「ベストテン」や「トップテン」で1位になるというのはなかなか難儀であるという現実がありました。

 なので、私はこの88年8月18日の「ザ・ベストテン」における中山美穂1位獲得を今も強烈に憶えています。その年に1位を獲得していた女性歌手は、中森明菜さんと浅香唯さんのふたりだけでした。南野陽子さんは、前年の4月に一足早く1位を経験済み。85年デビュー組としては、もはや最強無敵状態だったはずの中山美穂さんが、ここへ来てようやく1位を獲ったことは、満を持しての「世代交代宣言」のようなインパクトがありました。

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