平野ノラさんを始め、今や80年代バブルは鉄板コンテンツですが、実はずっとその定義に違和感を抱いてきました。中でも引っかかるのが、『ジュリアナ東京』をバブル期の象徴とする共通認識です。ボディコンにワンレンソバージュ、派手な扇子とお立ち台ギャル。アイテム的には充分バブリーですし、インパクトも絶大です。しかし、ジュリアナのオープンは、『バブルが弾けた』という概念が生まれた1991年であり、いわゆる『ジュリアナギャル旋風』も92年から93年にかけてのこと。依然、好景気のノリはあったとはいえ、やはりジュリアナは『バブル崩壊後』の産物なのです。私の個人的見解だと、『バブル前兆』が85年・86年。『バブル無自覚期』が87年・88年。さらに昭和から平成に元号が変わった89年・90年が『バブル自覚期』。そして91年・92年が『バブル終焉期』と分類されます。

 何故そんな詳細にこだわっているかというと、私は年齢的にも物理的(当時イギリスに住んでいた)にもギリギリのところで、バブルの恩恵を直接体験していないからです。しかし、大人たちを通して、海外から見た当時の日本は、紛れもなく最強でした。オトナになれば、あんなギラギラした世界で生きられるのだとワクワクしたまま、私はオトナになったのです。

 そんなバブルの変遷を、当時のトップアイドル中山美穂を通して見ることができます。まだ誰も「今がバブルだ」などと意識もせぬまま、延々と羽振りの良さだけが続いていた、まさに祭りの絶頂。それが『バブル無自覚期』でした。当時(87年・88年)にミポリンが主演したドラマでは、基本的に中山美穂は「中山美穂」という役のままで成立していました。むしろ中山美穂は中山美穂以外を演じてはならなかった時代。そして、それを疑問に思う人もいなかった時代。この意味不明な共通認識こそが「バブル」です。

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