4年前のデビュー35周年の折、私はサブスク上で聴ける「公式・中山美穂オールタイム・プレイリスト」なるものの選曲をさせて頂きました。時代を象徴し、海外の流行サウンドをいち早く取り入れつつも、日本人ならではの湿度に満ちた声で歌われる彼女の楽曲は、どれも素晴らしく、シングル・アルバム曲を含め、かなり迷った末の39曲。
自分なりに、「5年後の40周年に向けて」と「39(サンキュー)」の想いを込めたプレイリストを、ご本人はいたく喜んでくださり、夜中に「ミッツ、本当にありがとう。すごくイイし、すごく嬉しいから。ごめんね、夜遅くに。でも本当にありがとう」とまくし立てるような電話をもらったことが忘れられません。まさか、それがこんなにも早く、こんなにも突然「良い想い出」になってしまうとは夢にも思っていませんでしたが……。
私の10代を、文字通りWAKUWAKUさせてくれた人たちに、出来る限りの恩返しをすることが、私が芸能界に身を置かせてもらっている務めのひとつなのだと、最近つくづく感じることが多いだけに、美穂さんの突然の旅立ちは、「ちょっと待ってよ。まだまだ恩返ししきれてませんよ。」という気持ちでいっぱいです。
中山美穂を語る上で欠かせない要素や作品は数えきれないほどある一方で、「バブル」という時代・現象を考察する上で、もっとも分かりやすく象徴的な存在なのが「中山美穂」である……という文章を以前「週刊朝日」に書いたことがあります。バブル景気→バブル崩壊、昭和の終焉→平成の始まり、あの時期の日本人の価値観や流行やライフスタイルがどのように変化していったかを、改めて、当時のコラムを再掲載して、まずは中山美穂さんのご冥福をお祈りしたいと存じます。以下、2016年12月に書いた文章(修正あり)です。