生活保護を受ける側には落ちたくない
――五十嵐さんが高1のとき、父親は再リストラ後に1年以上再就職ができなかった。
五十嵐 親が親戚に借金して回っているという光景は、子どもながらに覚えています。狭い家だから、電話で親戚に頼みごとをしているのも筒抜けでした。
金の無心までしているのにギリギリまで生活保護を受けなかったのは、両親に、「自分らは生活保護を受ける側には落ちたくない」というプライドがあったからだと思います。生活保護を申請すれば、親族に「あなたの親族が生活に困っているから、援助できませんか?」と役所から問い合わせがいきます。両親にとっては、それが恥ずかしかったんでしょうね。でもすでに、親戚に借金までしていたわけですから、私たち子どもの側からすれば、「早く生活保護を受けてくれればいいのに」っていうのが正直な気持ちでした。だから申請できたと親から報告があったときは、「ああ、よかった」って心の底から思いました。
――18歳のとき、公務員試験を受けて区役所に就職。父、母、兄の生活保護が打ち切られないよう「世帯分離」(家族と生計を分けて、住民票の世帯を別にすること。自分は生活保護の対象から外れる)をすることに決めた。
五十嵐 「世帯分離」をすると、家族を捨てることにならないかと、最初はずいぶん悩みました。でも、顔見知りの区役所の職員さんが、「何より優先すべきはあなた自身の生活」「家族と暮らし続けて共倒れになるよりも、あなたが一人の社会人として自立して、税金を納めて、普通に生活をすることが何よりも社会貢献になる」と話してくれた。実際私は、18で家を出て自立して、区役所で働いた4年間で300万円を貯めて、その後は夢だった漫画家にもなれた。
支援を受けることは恥ずかしいことではない
学生時代の一時期、私たち家族が生活保護を受けていた期間があったことは、ネガティブには捉えていません。社会人になって一人暮らしをして、家の中にお風呂があって、入りたいときにいつでもお風呂に入れることを「天国のよう」と感じました。
支援を受けることは恥ずかしいことではない。困ったときは助けを求めていい。今、同じような立場にある子どもさんたちには、「必ず抜け出せる道がある」ということを伝えたい。私、読者からいただいた感想には全部目を通すんですけど、「生活保護の受給者って、もっとダメな感じの人ばかりだと思っていたけれど、見え方が変わりました」ってポジティブなメッセージをもらえるのがすごくうれしいんです。
(構成/ジャーナリスト 古川雅子)