ヤクルト復帰1年目、青木はそう語っている。この年は主に2番・中堅で127試合に出場し、セ・リーグ4位の打率.327。バットのみならず、前年は球団ワーストの96敗を喫して「自信をなくしているように見えた」ナインをことあるごとに鼓舞するなど、リーダーシップでもチームの2位躍進に大いに貢献した。
翌2019年は打率3割に届かなかったが、髙津臣吾新監督の指名でキャプテンに就任した2020年は「やりがいのある立場になって、より(自分に)鞭を打てた」と38歳にしてリーグ3位の打率.317。コロナ禍で通常よりも試合数が少なかったにもかかわらず、自己最多に2本差と迫る18本塁打を放つ。ただし、この2年ともチームは最下位で、渡米前に唯一やり残した「ヤクルトで優勝する」という目標は達成できないままだった。
いわばプロ野球人生における“ラストピース”が埋まったのは2021年。ヤクルトが阪神とのデッドヒートを制し、青木にとっては初のリーグ優勝。CSファイナルステージでその阪神を下すと、日本シリーズでは極寒の神戸でオリックスを破って日本一まで上りつめ、悲願達成に歓喜の涙を流した。
青木は2005年に初めてレギュラーになってから、メジャー移籍を挟んでヤクルトではこの年まで11年連続で100試合以上に出場している。前述のとおりメジャーでも6年間のうち5年は100試合以上でプレーしていて、長期の離脱がほぼない「故障知らず」でもある。その秘訣はどこにあったのか?
「僕は大学生の時に肩をケガして、そこからちょっと思ったように投げられないっていう経験がありまして。そこから身体のケアだとか、トレーニングに関して自分で意識を高く持つようになったんですよ。だからケガをしないってことがどれだけ大切か、それはもうプロに入った時には既に自分の中に備わってました」
日米通算で日本選手歴代2位の171死球を受けながら、これだけの長きにわたって「故障知らず」で過ごせたのは、常に意識を高く持ち、自身の身体に対して敏感にアンテナを張っていたからこそ。日米通算2730安打は、大卒に限れば日本選手歴代ナンバーワン。42歳になった今年は72試合の出場にとどまったものの、最後は自身の引退試合で通算582回目のマルチヒットを記録し「100点満点」の現役生活にピリオドを打った。
(文・菊田康彦)
●プロフィール
菊田康彦
1966年生まれ。静岡県出身。大学卒業後、地方公務員、英会話講師などを経てフリーライターに転身。2004~08年『スカパーMLBライブ』、16~17年『スポナビライブMLB』出演。プロ野球は10年からヤクルトの取材を続けている。