天才的なバットコントロールと評される青木だが、それを支えていたのはストイックなまでの努力だった。この頃、神宮でのナイターが終わると室内練習場に足を運び、マシンを相手に打ち込む姿を何度も見た。神宮外苑にある室内練習場は球場と同じく球団が借りているものなのだが、当時は試合前のチーム練習だけでなく、試合後も青木の要望により借りていたのだという。

 青木には早稲田大時代から温めていた「メジャーリーグで活躍する」という夢があった。2006年オフの契約更改で初めて球団に訴えたその夢も、ポスティングが認められずなかなか実現には至らなかったが、2011年に就任した衣笠剛球団社長兼オーナー代行(現会長兼オーナー代行)がこれを容認。当時の制度により入札金250万ドル(当時のレートで約2億円)で独占交渉権を得たミルウォーキー・ブルワーズと2年契約を結び「メジャーに行くのが夢じゃないし、向こうに行って活躍することが僕の夢」と、強い覚悟で海を渡った。

 メジャーでは2012年からの6年間で7球団を渡り歩きながら、頭部死球などで2度の離脱があった2015年を除き、毎年100試合以上に出場。カンザスシティ・ロイヤルズに在籍した2014年はワールドシリーズの舞台にも上がった。打率3割に到達したシーズンこそなかったものの通算774安打を放ち、歴代の日本人メジャーリーガーではイチロー(マリナーズ他)に次ぐ通算打率.285をマークした。

 青木がヤクルトに“電撃復帰”するのは、2018年の春。メジャーのFA市場の歴史的な停滞を受けて所属球団が決まらずキャンプ直前に決断すると、マイペースな印象だった渡米前とは“別人”のようになって古巣に帰ってきた。当時36歳。最年長野手として率先してチームを引っ張り、以前とは打って変わって喜怒哀楽を前面に出すようになった。

「それはアメリカに行ってからですね。(渡米)前は喜怒哀楽を出すのが悪いことだと思ってたし、自分を表現するのがすごく下手だったと思います。周りを気にしすぎたりね。だからアメリカに行って良かったなと思うのは、自分を出せるようになったトコですね。基本的には悔しかったら悔しいでいいし、嬉しいなら嬉しいでいいし。そういうのがたぶんファンにも伝わると思うし、チームの士気を上げると思ってるんで」

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