「本を書く修行のためにゴールドマンを辞めた」(撮影・佐藤創紀/朝日新聞出版写真映像部)

 マネー記事をつくる我々にとって耳の痛い話もいただいた。

「X年後に日経平均株価がY円になるって株価予想をする人たちがいますよね。あれ、僕は好きじゃないんです」

 田内さんのストレートパンチ。

「だって未来って変えられるじゃないですか。

たとえ正確な天気予報を知ったところで、僕らは明日の雨を晴れに変えることはできません。せいぜい傘を持って出かける程度でしょう。

でも、経済って僕らの努力次第で変えられるんです。日経平均を当てるんじゃなく、株価を上げるにはどうすればいいかをメインに据えるべきでは?」

父の「東大命令」

 田内さんは難関の灘中学・高校を経て東京大学工学部、同大学院で学んだ。世間一般に言う「とっても頭のいい人」である。

 こういう人に「勉強は好きでしたか?」と聞くと「人並みに勉強をしていたら点が取れた」「親から勉強しろとうるさく言われなかった」といった答えが返ってきがちなのだが、田内さんは違った。

「勉強が好きになるよう父に洗脳されていました(笑)」

 田内さんの父は中学を卒業したあと、そば店を経営して一家を養っていた。

「日本は学歴がないと大変だ。自分の代では逆転できないからお前に託した。東大に行け」

 田内さんの父も直球ストレートである。

「小学2年生のとき、野球クラブに入ろうとしたら父から止められました。『お前は将来そば屋で働きたいのか』って。違うなら東大に行くために勉強しろって」

 そば店を卑下するわけでは決してなく、とにかく「東大」にこだわっていた。

 その後、田内さんの父は店を閉め、自宅兼店舗を手放した。田内さんが小学4年生の3学期のことで、茨城県に住んでいた。

「そのとき、父親はなんて言ったと思います? チャンスだ! どこでも引っ越せるから、神戸にしよう。東大合格率が高いのは灘高だから、近くに引っ越すぞ、って」

 小学5〜6年生のときは当地の「エリート塾」に通った。

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併願なしで灘中