人生に行き詰まった人たちはたびたび寺の門をたたく。禅僧・南直哉氏は永平寺に在籍時、死にきれずに訪ねてきた人の身の上話に付き合い、夜明けまでの12時間をともに過ごした。ただ話を聞くことが大きな展開を迎えることになったという。南氏の著書『新版 禅僧が教える 心がラクになる生き方』(アスコム)から一部を抜粋してエピソードを紹介する。
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自分の状況を誰かに聞いてもらうと、
視野がスッと広がることがあります。
そんな話をできる相手が、
「心の生命線」になることもあるのです。
お互いの「理解」は合意された「誤解」だとはいえ、人は、誰かに話を聞いてもらうだけで救われることがあります。それを教えてくれたのは、永平寺時代の忘れがたい体験です。
ある夏の日、午後5時頃のことでした。
「ずぶ濡れで門前に座っている人がいるから見てきてほしい」と言われて行ってみると、確かに若い男性がびっしょり濡れた姿で座っていました。
事情を聞くと、死ぬつもりで永平寺の前にある川に飛び込んだが、死にきれなかったと言います。川といっても、膝上ほどの深さしかない小川です。人騒がせだと思いましたが、放っておくわけにもいきません。部屋に上げて私の作務衣を着せ、話を聞くことにしました。
男性は、中学生の頃から32歳となった今まで、ずっと引きこもってきたとのこと。臨床心理士や精神科医のもとには通っていましたが問題は解決せず、もう死ぬしかないと思い詰め「なんとなく」永平寺まで来たと言います。
引きこもった原因を尋ねると、小学校4、5年生のとき猛烈ないじめに遭ったことだと言いました。よくある話ですが、本人にとっては重大な話です。まずは話を聞くしかないだろうと、好きなように話をしてもらいました。しかし、いざ話が始まって驚きました。