いじめられたのは20年以上も前の話ですが、彼の時間は小学生の時点で止まっていたのです。記憶は鮮明で、一日どころか1時間単位で、彼は当時の出来事を語り出しました。
2時間のつもりが夜になり……
当初私は、2時間もあれば話は終わるだろうと見積もっていました。しかし、2時間を過ぎた時点で、まだいじめが始まって2日目の出来事が終わりません。これは長丁場になると思いました。
午後10時になり、もう彼の気が済むまで話を聞くしかないと覚悟しました。永平寺では、午後9時に全館消灯です。遅くとも、10時までには就寝していなければなりません。上司に理由を話して許可をもらい、話を聞き続けました。
やがて夜が明け、朝の坐禅とお勤め(読経)が始まりました。事情を察した仲間の僧侶がお茶を運んでくれましたが、それまでトイレにも行かず、お茶も食べ物も口にせず、彼はせつせつと話し、私は聞き続けました。
朝になると、さすがに彼も疲れてきたようです。
「もう話すことはないの?」と尋ねると、しばらく「うーん」と悩んで「もうないです」と言いました。時計は、午前5時を指していました。
私が「この話、誰かにしたことあるの?」と聞くと、「初めてです」と言います。彼が通っていた医療機関では、診療は1時間と決まっていて、次の診療では、また最初から話をしなければならなかったのだそうです。
驚くべきことに、彼の胸の内をとことん聞いてくれる人間は、子ども時代から今まで、誰ひとりいなかったのです。私は言いました。
「君の話はわかった。とにかく今日は帰りなさい。死ぬことはいつでもできるから。とにかく帰って、それでも死にたいと思ったときは、僕に連絡しなさいよ。こう言ってはなんだけど、僕は君に12時間つき合ったのだから、それくらいの義理はあると思うよ」
「わかりました」と言う彼に、「これだけは約束だよ。死ぬ前に必ず来てね」と声をかけ、見送りました。
1カ月ほどして、男性から手紙が届きました。