両陛下の訪英が決まると、英紙は戦争中の捕虜問題を訴える記事をたびたび掲載。そうした動きを受けて、英大衆紙「サン」には捕虜の扱いを謝罪する橋本龍太郎首相(当時)の寄稿文も掲載された。
「訪英を成功させるために、日本政府は英国政府と緊密な協議を重ねました。在英日本大使館を含む外務省と宮内庁、そして総理官邸が一丸となり、不測の事態を招かないよう、ありとあらゆる手を尽くしたのです。英国側も誠意を持って応じてくれました」(多賀さん)
そして1998年5月、平成の天皇と皇后が英国を訪問。バッキンガム宮殿に続く800メートルの沿道には、両陛下のパレードを待つ日英の市民らが集まった。
不測の事態に備えて、馬車は個室のボックス型。沿道からは歓迎の声も大きかったが、旧日本軍の元捕虜らでつくる団体は両陛下の馬車に背を向け、シュプレヒコールを浴びせたのだった。
「彼らは天皇訪英が補償や謝罪に向けてアピールする最後の機会だと考えていたこともあり、抗議をしないわけにはいかないとの気持ちもあったのでしょう」
そう振り返るのは、駐英大使を経験した人物だ。
「背を向けた抗議行動はするようです」
パレード当日の朝、両陛下は抗議行動があることを把握していた。両陛下は渡辺允侍従長(当時)との朝食の場で、現地大使館からの報告を受けていた。
「デモはしませんが、背を向けた抗議行動はするようです」
陛下は黙ってうなずいたという。
陛下の胸中は、この日の晩餐会で述べた「お言葉」に凝縮されている。
戦争により人々の受けた傷を思う時、深い心の痛みを覚えますが、(略)私どもはこうしたことを心にとどめ、滞在の日々を過ごしたいと思っています